活動 霊断師大会

日蓮宗霊断師大会第35回京都大会

日蓮宗霊断師全国大会「第35回京都大会」が、10月8日・9日にかけて徳川家累代の祈願所であった本山本満寺(伊丹栄彰貫首・当会副会長)を会場に盛大に開催された。当日は、全国より70有余名の霊断師が参集し、先師に回向を捧げるとともに、立正安国・霊断布教にさらに邁進することを誓願、会の発展に一層精進していくことを誓った。

温故知新 先師の御遺徳に触れる

建都から1200年の歴史を持ち、数多くの文化財が建ちならぶ古都・京都。この地において京都府支部(小田和幸支部長)協賛のもと歴史ある本山本満寺にて厳粛かつ盛大に大会が開催された。

この全国大会は、創祖行道院日煌聖人、本年ご遷化された第2代相伝宗主天晴院日明聖人をはじめ、霊断師会先師先達へのご報恩と、全国霊断師各聖相互の親睦を深めることを主眼として毎年全国各支部協賛を得て開催されている。

午後0時30分開会。荘厳な本堂に霊断師が着座し、草野法界会長を導師に先師法要が厳修された。

草野会長は奉告文の中で「我等霊断師当山の御宝前において法筵を張るは一大事因縁の故なり。近衛道嗣公が『法華経広宣流布にて国家安穏万民和楽』の願を紹継し、末法救護の秘法、九識霊断法・倶生霊神符の利剣を引っ提げ、社会浄化に邁進し、死身弘法不惜身命をもって正法を当世に伝う決意を新たにする者也。当世の情を案ずるに、三災七難後を絶たす。人心は狂惑して正邪に迷う。立正安国論にいふ『仏閣甍を連ね、経蔵軒を並ぶ。僧は竹葦のごとく、侶は稲麻に似たり。崇重年旧り、尊貴日に新なり。法師は諂曲にして人倫に迷惑し、王臣は不覚にして邪正を弁ずることなし』の様相を現ず。今日我等霊断師、異体同心して破邪顕正の決意を以て、正法弘布の大旆を掲げ、浄佛国土顕現に邁進するを誓う。本日茲に、我等霊断師日蓮宗霊断師会副会長住寺広宣流布山本願満足寺に相集い、先師の鴻恩に報謝するとともに、改めて邪法滅尽正法弘布の誓願を決するを以て、威徳を後世に遺すことを誓うものなり」と、述べられた。

続いて、副導師を務めた藤原信良理事、小田京都府支部長の二師、髙佐日瑞相伝宗主が香を手向け、参列した全員が続いて先師の遺徳を偲んだ。

法要終了後、本満寺貫首伊丹栄彰猊下より歓迎の挨拶、本満寺の縁起などが話された。

続いて霊断師決起大会を開催。髙佐相伝宗主より挨拶、次に座長に選出された小田支部長が登壇。山崎浩道総局長が会の現状を報告、その後、決議文起草委員の西尾弘道師・髙田浩匡師より決議文が読み上げられ、採択、決起大会は終了した。

終了後、一行はバスにて京都市東山区にある霊山観音を参拝、周辺を散策後、宿泊するホテルへと向かった。

午後6時から懇親会が宿泊先の京都ロイヤルホテル&スパで催され、大乗文延副会長が挨拶、小田支部長が「1カ月前に東京オリンピック開催が決まり、その際スピーチの中でおもてなしとありました。このおもてなし、支部として皆さまに何ができるのかと考えました。そして本山本満寺さまにての法要、霊山観音での観光、この後披露されます祇園の舞妓・芸子さんによる舞を堪能していただき、翌日はあと半月後には見ごろとなる紅葉の美しい常寂光寺の参拝、嵐山散策と京都を満喫していただき、我々京都府支部のおもてなしとさせていただきました」と、歓迎の辞を述べ、次に永江尚幸理事会議長が乾杯を行った。

清興では、舞妓・芸子による踊りが披露され、和やかに親交が深められるなか、藤原理事が万歳三唱の音頭をとり懇親会を終了した。

法要

大会に先駆け、本山本満寺本堂にて先師法要が厳修された
導師を務められた草野法界霊断師会会長
法要後、挨拶をされる本山本満寺貫首伊丹栄彰猊下

決起大会

全国より多くの霊断師が参集し決起大会が開催された
挨拶をされる髙佐日瑞相伝宗主
決議文を上程する西尾師(右)と高田師(左)

散策 霊山観音にて参拝、その後散策へ

 

 

懇親会

挨拶される大乗文延副会長
小田和幸京都支部長による歓迎の挨拶

 

永江尚幸理事会議長による乾杯の儀

 

舞子・芸子による踊りを披露

会のさらなる発展に今以上の結束を固める

二日目は、嵯峨・嵐山を散策。はじめに嵐山唯一の日蓮宗の寺院である常寂光寺を参拝、御開帳を受け、さらに住職よりお話を伺った。この常寂光寺は、文禄4年(1595)に創建され、境内に建立されている多宝塔は重要文化財に指定されており、秋の紅葉時には多くの参拝客で賑わっている。

その後、嵯峨野竹林を散策し、嵐山辨慶にて昼食、午後2時京都駅に到着し解散、一同それぞれに帰路の途についた。

全国の霊断師が結集し2日にわたり開催された京都大会は盛大裡に幕を閉じた。

嵯峨・嵐山に建立された常寂光寺本堂にて御開帳

 

 

嵯峨・嵐山を散策

 

 

 

 

昼食は、嵐山辨慶にて名物の湯豆腐を食した
地元理事を代表して藤原信良理事が閉会の挨拶をされた

決議文

 

決 議 文

当山の山号は広宣流布山、寺号は本願満足寺なり。

開山玉洞妙院日秀上人が父君、近衛道嗣公の大願に由来す。三秘正信の秘法を以て、国家安泰、万民和楽たらしめんとの願いによるなり。

仏祖の本願は皆成仏道にあり。白法隠没闘諍堅固の末法にあって一切衆生皆成仏道の浄仏国土顕現せんには妙法五字の宣布を措いて他に無きなり。

「日蓮は是れ法華経の行者なり。不軽の跡を紹継するの故に、軽毀する人は頭七分に破れ、信ずる者は福を安明に積まん」は宗祖日蓮大聖人の教示なり。宗祖大聖人不軽の跡を紹継し、死身弘法の色読を以て末法救護の実を示す。

祖願を紹継し末代衆生の救護に挺身するは地涌千界の流類たる我等霊断師の使命なり。

本日茲に祖意を継紹せる近衛家並びに将軍家有縁の広宣流布山本願満足寺に集うは甚深の因縁なるが故か。新日蓮教学、九識霊断法の秘法を以て皆帰妙法の祖願を達成し立正安国、四海静謐を速やかに実現せんと誓うものなり。

右決議す。

平成二十五年十月七日

日蓮宗霊断師全国大会 第三十五回京都大会

決議文起草委員

次年度開催地は広島に決定!!

次期開催地である広島県支部の難波典基支部長より「来年広島の地で、支部員一同お待ちしております」と挨拶された。

第1会場となった本満寺(西山門より七面堂を望む)

 

略縁起

応永17年(1410)の創立。

開山は玉洞院日秀上人。

当山は、当時の朝廷より敷地3万坪を与えられて、新町今出川に当山の基を開く。広宣流布山本願満足寺と号し、現山寺号はその略称である。天文8年(1539)に現在の地に移り、後奈良天皇の勅願所となって大いに栄え、宝暦元年(1751)には、八代将軍徳川吉宗の病癒祈願をしてから、徳川家累代の祈願所となった。

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