首導月訓 平成29年の月訓

年頭所感(平成29年1月)

※1月号の首導月訓は休載のため、年頭所感を掲載します。

平成29年 謹賀新年〜伝えるべき信仰の相続〜

異体同心の祈りに徹する聖徒に

日蓮宗霊断師会相伝宗主 日蓮宗聖徒団首導 髙佐日瑞

明けましておめでとうございます。
平成29年の年頭に際し、全国の聖徒各位、ならびに霊断師各聖の本年のご多幸と、各聖徒団のますますの隆昌をお祈り申し上げます。
さて昨年、大きな話題となったことの一つに、今上天皇陛下のご退位の問題があります。

撮影された映像ではありましたが、陛下ご自身が譲位を望まれる「お気持ち」を語られたお姿が放映され、全国民注視のものとなりました。
多くの国民は、何とか陛下のお気持ちに添うかたちで、円滑に皇太子殿下への譲位が実現することを望んでいるものと思われますが、法律論の上では、なかなか難しい問題があるようで、現在議論が続けられています。

この件を捉えて「継承」あるいは「相続」の難しさに一般化するとすれば、それは皇位というものの在り方や特別さをあまりにも軽視していることにはなりましょうが、私は今般のことを契機として、是非みなさんに「信仰の相続」ということをお考えいただきたいと思います。
古来、天皇は「しろしめす」存在とされてきました。「しろしめす」は「知ろしめす」で、「知る」の敬語なのですが、この言葉をもって天皇が統治するという意味になります。

類義の古語には「うしはく」もあります。「領はく」と書くのだそうで、うし(=主人)として領有する、ということのようです。
天皇は「うしはく」ではなく「しろしめす」ことによって国を治めてきたとされることが肝要なのですが、「知る」ことで治めるとは、すなわち「無私の心で民の心を知り、(その思いを)神に祈る」ということであるとされています。

つまり、天皇とは祈りを本質とする存在として捉えることができるのであり、皇位の継承とは、祈りの相続に他ならないともいえるのです。
さて私たちは、日蓮大聖人さまのお弟子であり、寿量ご本仏を御祖(みおや)とし、その仏位を相続する存在です。お題目の祈りを最も肝要な行いとする信仰者であるわけです。

であるならば、陛下が皇位の継承について、あれだけの思いを寄せられるごとく、私たちもまた、祈りを受け継ぎ、伝える信仰の相続こそ、人生の大きな課題と考えなければなりません。

もちろん、自らが仏位を相続し、寿量ご本仏の活現体とならなければ、継承も何もありませんから、自身が祈りに徹し、ご本仏と異体同心してこその信仰の相続であり、信仰の相続とは取りも直さず先ず自身が信仰に徹することです。

また、信仰の相続は何も次世代に限るものではありません。親御さんを教導するなど、年上の方への相続すらあることでしょう。

皆さんが周囲の方に信仰を相続し、お釈迦さまや日蓮大聖人さまと異体同心する聖徒を一人でも増やすとともに、ご自身の信仰を深めて、幸せな人生を歩まれる年となることをご祈念申し上げ、年頭のご挨拶といたします。

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