令和元年の月訓 首導月訓

首導月訓(令和元年5月)

◆仏教はもともと悟りの宗教であった。その目的は、人生の苦からの解脱であった。

◆教主釈尊は、諸行無常(しょぎょうむじょう)諸法無我(しょほうむが)涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)の三法印を以て、衆生済度のためのご生涯を過ごされた。諸行無常と諸法無我は智慧の悟り、涅槃寂静は悟りの境地である。

◆諸行無常と諸法無我を悟ることができれば、涅槃寂静の境地に入ることができる。すなわち、人生苦から解脱することができる。

◆しかし、諸行無常と諸法無我を悟ることが誰にでもできるかといえば、これは非常なる難題であるといわざるを得ない。

◆その上、もともと釈尊の道は、人間の自然な欲望を抑制する傾向があったのであるが、釈尊滅後の仏教は、その傾向を過度に強めて行ってしまった。

◆衆生済度、つまり、私たち普通の人間を苦から救うことを目的としていた筈の仏教が、普通の人間にはできないことを方法としたのである。これでは、実際の役に立つ(はず)がない。

◆この矛盾の解決を図ろうとしたのが、大乗仏教であった。その頂点こそが、法華経であったといえよう。

◆とはいいながら、日蓮大聖人さまが現れるまで、法華経の実際的な効果を普遍化する方法は発見されなかった。日蓮大聖人さまに至って、初めて、仏教が実践宗教として成立したのである。釈尊以来の懸案が解決したのであった。それこそが、信心を正意とする仏教である。

◆念仏も信心を正意とする仏教ではあるのだが、末法の時機観の超克法を誤り、(いささ)か当てにならない未来の往生(おうじょう)を約束するばかりで、現世の真の救済を放擲(ほうてき)してしまった。

◆お題目を信じ唱えることは、現世安穏・後生善処の道であり、来世の約束のみならず、この世での霊験奇蹟の保証があるのである。

◆日蓮大聖人さまは、三大秘法によって、法華経の信心を実践宗教として完成されたのである。

日蓮宗聖徒団首導 髙佐日瑞

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