
日蓮宗霊断師会相伝宗主
日蓮宗聖徒団主導
佐日明
他者のために祈る心
平成24年の年頭にあたり、全国の霊断師各聖、聖徒の皆さまのご多幸を心よりお祈り申し上げます。
平成23年は、何と申しましても、東日本大震災が起こった年として、長く記憶されて行くことになりましょう。
改めて、犠牲になられました方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆さま、避難生活を送られている皆さまに、衷心よりお見舞い申し上げます。
さて、丁度、春のお彼岸のころ、余りにも多くの方が一度に亡くなってしまったために、火葬施設が不足し、また、ご遺体の損傷の状況などを考えると、それ以上そのままにしておくことが難しくなり、火葬を経ない土葬が始められた、と伝えられました。
私は、この報道を耳にした時、懸念を抱きました。
一昨年の春ごろからでしょうか、或る宗教学者の著作が切っ掛けとなって、浅薄な「葬儀無用論」が流行しているかのようでありました。「直葬」などという哀しい言葉が、特に都市部において定着してきているというようなことも聞いておりましたので、亡き人を弔い、供養するのではなく、いわば「遺体を処理」すればよしとするような風潮を助長しはしないかと案じました。
しかし、震災から2カ月ほど過ぎたころ、土葬されたご遺体を掘り出し、改めて火葬することが始まった、というニュースを聞いて、私の心配は杞憂であったようだと、安堵いたしました。
信仰実践の新年を
犠牲者の方々のことを思えば、ここで安堵などという言葉を用いるべきではないのかもしれませんが、供養の心を萎えさせる方向ではなく、祈りをあらたにする方向に世の中が進み、人びとが祈りの心を忘れていないことを再確認させてもらえたが故のことと、ご寛恕ください。
いま、祈りの心を忘れない、と申しましたが、震災後の私たちは、まさに「祈らずにいられない」という気持ちであったのではないかと思われます。
何かできないか、いても立ってもいられない、という思いを、誰もが持ったのではないでしょうか。
かくいう私は、残念ながら、既に入院生活も3年に及ばんとしていて、自身のことすら満足にできる状態でなくなっておりますので、義援金や物資をお送りしたり、といったことしかかないませんでした。
「祈らずにはいられない」という心を、震災後、我が国全体の心として持ち得た、ということを、私は心強く感じました。
犠牲になった方々の追悼だけではなく、被災された方が早くこれまで通りの生活に戻れるように、被災地が1日も早く復興するようにと、私たちの誰もが、祈らずにはいられない毎日を過ごしています。
こんなことが、近年あったでしょうか。
あるいはまた、「絆」ということばが、改めて見つめ直され、昨年の「今年の漢字」にも選ばれるほどであること。
戦後、個人主義的な風潮のみが強まり、近年は自己責任だのといったことばかりが言われて来ましたが、自分のためだけでなく、周囲や他者に思いをいたす、自分以外の人のためを祈る心を持つ、この震災はそうした契機になっているように思われます。私たちはこの機会に、社会全体として、生き方を改めて見直し、他者を祈る心を一層育てて行かねばならないのではないかと考えます。
日蓮大聖人さまは、『瑞相御書』の中で、「本門と申は又爾前の経経の瑞に迹門を対するよりも大なる大瑞なり。大宝塔の地よりをどりいでし地湧千界、大地よりならび出し大震動は、大風の大海を吹ば大山のごとくなる大波のあし(蘆)のはのごとくなる小船をひほ(追帆)につくがごとくなりしなり」と述べられています。『立正安国論』ご執筆の契機となった正嘉の大地震などについても、末法の時代に広宣流布する瑞相である、と記されておられます。
「禍を転じて福となす」と申しますが、まさにこの大震災は、未曾有ともいわれる大災害ではありますが、私たちが忘れていた祈りの心を取り戻させてくれる、大いなる瑞相にしなければなりませんし、現にそうなりつつあるように思われます。
しかし、こうした祈りの心の「復興」を、浅薄で一過性のものに終わらせるのではなく、風化させず、深化させて行くためには、真の信仰が必要です。
この震災を、本当の意味で、我が国を立て直して行くきっかけにするには、真に異体同心、総和の心が必要だからです。
申すまでもなく、それこそは、日蓮仏教の三大秘法の祈りであり、日蓮宗聖徒団の祈りです。
東日本大震災を「瑞相」とすることができるかどうかは、聖徒の皆さんお一人お一人にかかっているのであるとご自覚くださって、本年もお題目の道を持ち、行い、護り、弘める一年としてくださること祈念して、年頭のご挨拶と致します。
日蓮宗霊断師会会長
草野法界
新春を迎え、謹んで全国聖徒団各位のご繁栄と、あわせて、昨年未曾有の被害に遭遇されました多くの方々のご健勝と、その回復の速やかならんことを、切にお祈り申し上げます。
近年、天災に連動した人為的災害が日本全土を震撼させています。この現実の重大問題に対する私たちの対応について、年頭に当たり改めて「聖徒とは」、その原点に就いても申し述べさせていただきます。
(1)聖徒とは叡智、即ち高き知性を以って清く賢く生きる人。
(2)自分も人も、共に幸せに成る積極的な慈悲主義の人。
(3)聖徒とは度者であり、仏に代わって人々を教化する人。
今こそ私たちの出番です。この世は紛れもなく、私たちの世界です。従って現実に対し、断じて傍観者であってはなりません。
しかし今、国土は汚染され続けています。このままではいずれ地球は、人為(人の欲望)によって終焉をむかえるかもしれません。
あの福島には長崎の原爆の35発分にも及ぶプルトニウムが眠っていました。この名称はローマ神話プルト(地獄の支配者)に由来するものです。
終戦間際、広島原爆に直撃された先輩(渡辺公允師)の体験談ですが「周囲を見渡したら、皆放心状態で両手を胸と腹の辺りにだらりと下げ、まるで絵画で見た幽霊そのものであった。そして、ふと自分を返り見ると、驚いたことに、自分の両手もだらりと下がっていた」と。
「死の灰」で一躍有名になった伊東の友人(読売記者の阿部光恭君)が記した遠洋から帰港した漁夫の姿の記事を思い出す次第です。
今別の形で、その亡霊がすでに体内に入り、30年間幽化しております。これはとても大変なことなのです。
この世の浄土も地獄も人の心が作るもの。ならば一日でも早くこの地獄の支配者から逃れたいものです。
私たちは地球全体を娑婆即寂光土化するため、今一度、聖徒の原点に立ち、祈りとともに速やかに行動しようではありませんか。
総局長
山崎浩道
平成24年の年頭に当たり、全国各聖徒団聖徒の皆々さまのご多幸を心よりお祈り申し上げます。
昨年3月11日の東日本大震災では、多くの尊い命が犠牲となり、また被災された方々の日常、当たり前だと思っていた生活も、奪い去られてしまいました。
時間が止まったかのような、悪夢のあの日から9カ月余りが経過し、布施行を志す多くの菩薩の協力のもと、少しずつではありますが、一歩一歩復興に向けて動き出しております。
日蓮大聖人さまの時代も、ご存知の「立正安国論」に、大地震、台風、洪水、飢饉、疫病等が続き、鎌倉も死者や罹災者が続出したと書かれております(災厄から逃れるため、元号も毎年のように改元しています)。このことにつきましては、近年ある大学の調査で、大聖人さまの時代の鎌倉庶民の平均死亡年齢は24歳という調査結果が出ております。
このことからも、当時の人々がいかに塗炭の苦しみに喘いでいたのかが、容易に想像できます。
「法華経を信ずる人は冬の如し、冬は必ず春となる」。
これは、妙一尼という篤信のご信者さんに、大聖人さまがお与えになったお手紙の一文です。妙一尼は大聖人さま佐渡ご流罪中に、法華信仰の弾圧でご主人を亡くし、老婆と幼い病の子をかかえて、大変ご苦労されていましたが、大聖人さまの教えを信じ、お題目の信仰に励まれました。
「冬は必ず春となる」。この何気ないお言葉の中に、私たちが日々信仰してやまない、お題目の真髄が籠められており、困難な時代の中にこそ、法華信仰の肝要があるのだと思います。
聖徒の皆さんは冬の如し。冬は必ず春になることを信じて、今年も前に進んで参りましょう。
総合研究所所長
立花文康
全国の聖徒の皆さま、新年明けましておめでとうございます。
聖徒の皆さまも、本年は尚一層新たなるお気持ちで新年をお迎えのことと拝察申し上げます。
昨年は、あの500年・1000年に一度という大震災、大津波に襲われた大変な一年でありました。そして、まだ余震も続いており現在でも油断ができない状態であります。
宗祖日蓮大聖人さま在世の鎌倉時代も、天候の不順や大地震が続き、日本をとりまく世界情勢も不穏な動きがあり、今日とよく似ております。そういう世界の中の日本ということで考えましても、震災・津波のあとにもかかわらず、日本人は暴動を起こすわけでもなく、しゅくしゅくと和をもって生活する姿は、世界の人々に感動を与えました。
大自然を神と仰ぎ、その恩恵の中で正しく仏の道を生きる聖徒の皆さまは、地涌の菩薩として、末法の今の世に遣わされてきたのです。
その姿は、大震災のあとにはっきりと表れました。自衛隊員、警察官、消防署員等々数ある職業の人が、我こそはと地涌の菩薩の一人として、一所懸命に命をかけて働いたのです。また外国からも、心ある方たちが救助してくださいました。
さて、聖徒の皆さまが拝読する「新編・日蓮宗聖典」。なかでも創祖行道院日煌聖人の「礼拝文」、「懺悔文」、「充霊願文」は、法華経と宗祖日蓮大聖人さまの「ご妙判」とともに積極的に拝読すべきであります。
聖徒の皆さまがお唱えするお題目は、「如来秘密神通之力」の言霊であります。「勇猛精進不惜身命」をもって、四誓の立願を果たしましょう(礼拝文の一文)。ちなみに四誓とは、誓って南無妙法蓮華経の道を持ち、行い、護り、弘め奉るという四つの誓願であります。
また「懺悔文」には、「われら無始の惑業を滅し、速やかに病苦を救い―中略―現世安穏の大利益を授け給はんことを、至心に懺悔し、一心に悃
したてまつる」と。また「充霊願文」には、「南無妙法蓮華経と申すは―中略―如来の秘密・神通の力なり」と力強く拝読申し上げ、新たなる一年我らが行く道に光明ありと、強い信念をもって正しい信仰生活を送りましょう。