夫大事の法門と申は別には候はず。時に当て我が為、国の為、大事なる事を、少も勘へたがへざるが智者にては候也。佛のいみじきと申は、過去を勘へ、未来をしり、三世を知しめるに過て候御智慧はなし。
『蒙古使御書(与大内氏書)』
建治元年(1275) 祖寿54歳作 全:p1075 定:2巻p1113
大事の法門
「大事の法門」とは、三大秘法、すなわち本門の題目、本門の本尊、本門の戒壇のことであり、これが日蓮宗の教義の全てです。上聖文の前半の意は、いま眼前に迫っている問題について、自分の身にとっても、国家の上においても、それについて最も正しい解決を与えるのが智者である、ということですが、つまりは、大事の法門である三大秘法を行ずる者こそが、「我が為、国の為、大事なることを勘へたがへざる」智者であるということです。
日蓮大聖人さまが『立正安国論』において予言せられた他国侵逼の難が、文永11年(1274)10月の蒙古(元)の1回めの襲来によって現実となりました。この時は颱風のために蒙古軍は退散しましたが、翌建治元年、蒙古は我が国へ第7回目の使節団として杜世忠を始めとする5名を遣わし、改めて降伏と服属を勧告して来ます。鎌倉幕府はこれを受け入れることなく、執権北条時宗は龍口において杜世忠らを斬首に処し、蒙古の襲来を迎え撃つ戦時体制に入ります。上聖文は、こうした状況を背景として記されたご文章です。
平成26年8月の「今月の法話」にご紹介した「一切の大事の中に国の亡るが第一の大事にて候也」も、この『蒙古使御書(与大内氏書)』の中のお言葉です。ユーラシア大陸にまたがる大国蒙古に睨まれた日本は、鷹に追われる雀のごとく危うく、まさに亡国の寸前にありました。日蓮大聖人さまはその国難を予言され、原因となっている禍根を取り除き、国家国民を安寧にする道が三大秘法に他ならないことを仰ったのです。
これは現代においても少しも変わりません。宗教は個人の安心立命のためだけにあると考えるのは大きな誤りであり、国家の安泰を計る道の中に、個人の安心立命が含まれていると考えるのが正しいのです。
三世を見通された仏の智慧を信じ、我が身の息災延命家内安全を祈るとともに、国家の興隆と世界の平和を祈るのが、お題目を信ずる者の正しい心掛けです。この二つの望みが叶えられてこそ、本当の安心立命が得られるのです。