今月の法話 平成30年の法話

今月の法話(平成30年4月)


(いま)末法(まっぽう)()りぬれば余経(よきょう)法華経(ほけきょう)(せん)なし、(ただ)南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)なるべし。(中略)()南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)余事(よじ)をまじへば由由(ゆゆ)しき(ひが)(ごと)(なり)

『上野殿御返事』

弘安元年。祖寿57歳。全:p1035 定:2巻p1492

由由(ゆゆ)しき(ひが)(ごと)

 末法とは、釈尊(お釈迦さま)の滅後二千年以降の時代を指します。闘諍堅固(とうじょうけんご)(争いごとばかり)ですとか、白法隠没(びゃくほうおんもつ)(正しい教えが隠れる)といった言葉で、その時代相が予言されています。

世相が悪化して正しい仏法が廃れるとされるのですが、実は、これは、それまで正法とされていたものが駄目になることであって、真実の正法は、この時代にこそ興るのです。その真実の正法が、南無妙法蓮華経です。
南無妙法蓮華経を唱えることは、決して難しくありません。手段方法としては実に容易ですが、その功徳(効果)は極めて甚大です。それは、一粒の良薬が起死回生の効力を発揮するのに似ています。

薬が何故効くのか。その理屈が解らなくても、薬の効能に違いはありません。正しい薬を正しく服用しさえすれば良いのです。

(わず)か七字の題目を唱えるだけで人生苦が解決される、と説かれても、(もっと)もらしい理屈を添えないと納得が行かないかもしれません。でもお題目は理屈ではありません。如来秘密神通之力(にょらいひみつじんずうしりき)です。秘密ですから、人智を超越しているのです。

人智を超越した秘密に、無理やりに理屈を付けると、余計なものが混じり込んで来ます。「此の南無妙法蓮華経に余事をまじえば由由しき僻事」とは、その効果を減殺しないためのご注意に他なりません。

末法に入って廃れてしまう正法とは人智による慧解脱(えげだつ)の成仏の教えであり、南無妙法蓮華経がもたらす救いは人智を超えた信解脱(しんげだつ)の成仏です。神秘は、人間の知覚と判断の限界を超越したところから現れて来ます。智慧で解るのは、その限界の内側のことだけです。ですから、理論理屈に拘泥(こうでい)し過ぎると、かえって信の邪魔になりかねません。「由由しき僻事」です。

成仏とは解脱であり、解脱とは人生苦の解決です。理屈は解らずとも、南無妙法蓮華経を信唱し、人生の苦難から解放されれば、安心立命のよろこびの中に住することができます。結果として、大悟徹底した人と何の変わりもありません。

すべての人を苦から救うためには、難行苦行では意味をなしません。簡にして要を得た、正しい易行に限ります。日蓮仏教の偉大さは、ここにあります。僻事をまじえず、素直に真剣に、お題目を唱えてください。

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