◆貧しくありたいと思う人はいない。しかし、貧乏神に好かれてしまう人はたくさんいる。汚れたままの服を着て平気な者、欠けた茶碗を気にしない者、間に合えば良いという精神で日常生活を暮らす者である。
◆こういう人は発憤しない。改善・向上の精神がない。だから、困難に打ち克とうとする発起がない。努力することを面倒くさがって、自分を惨めな生活に順応させようとする。甚だしきは、それを節約と正当化し、美徳であると考える。まことに愚かである。
◆貧乏神に好かれると、次第に世の落伍者の仲間に入り込み、終生、そこに安住するように仕立てられてしまう。生活の心掛けを軽んじてはならないのである。
◆完全を願い、不完全を厭う精神を強く持つことが肝要である。完全なる人間とは何者であるか。完全なる生活とは如何なるものであるか。それを知ろうとし、それを捉える心掛けを持たねば、理想の人生を送ることは出来ない。
◆人生は理想を追求する場である。人格、職能、健康、生活、社交、全てに理想的であることを求めるべきなのである。
◆無論、それを我が手に握るのは、至難である。しかし、理想を求めんとする心掛けのある者にして始めて、困難に耐え、運命を切り拓くことが出来る。何事においても不完全に甘んずることを良しとしない。その精神があってこそ、勇気が湧き起こってくる。
◆完全に近づく方法こそ、南無妙法蓮華経の道である。この信仰は、全ての人を寿量御本佛の垂迹身と見る。本佛は万能であり、理想である。従って、その垂迹身である我々も、万能であり、理想であり得る。自身が為し得ることを為せば、本佛は我等を守護して、必ず成し遂げさせ給う。それが南無妙法蓮華経の道である。
日蓮宗聖徒団首導 髙佐日瑞