事故の多い道路
あるお檀家さんのご自宅にご法事でお伺いした時のことです。
お檀家さんのお宅の道路に面している石垣の塀が大きく破損していました。何があったのかお尋ねしてみますと、つい先日、自動車にぶつけられてしまったと事情を話してくださいました。幸いにも運転手は無事で、誰にも怪我はなかったとのことです。
その通りは、見通しが悪いわけでもなく、細くてすれ違うのにも困るような道路というわけでもないのに、十数年前から毎年のように交通事故が起こっているのだそうです。
法事を終えた後もそのお話になって、「実は以前、この道路で死亡事故が起こったことがありました。事故が頻発するようになったのは、それ以後のような気がします。ずっと気に懸かっているので、この際、九識霊断法で見ていただけませんでしょうか」ということになりました。
そこで霊断をしてみましたところ、やはり供養の行き届いていない霊がいるとのお示しでした。
そうして追善供養をして差し上げることとなり、後日改めて伺って路上で読経。更に、お檀家さんには倶生霊神符の着帯と仏壇での毎日のお題目をお約束していただきました。
次の年忌法要の際、四年ぶりにその檀家さんのお宅にお伺いしました。
「お題目のお力というものを改めて感じさせて頂いています。あれからこの通りの交通事故はピタリと収まって、まるでウソみたいだと近所でも評判になっています。我が家もお蔭さまでみな無事に過ごさせていただいています」と話してくださいました。私自身、改めて法華経、お題目の有り難みを再認識するとともに、霊断師であって良かったと思わせていただいた体験でした。
法華経の功徳力
このように申し上げても、私が自身の祈祷力の自慢をしているとお考えにならないでください。
これは、みな、九識霊断法のお示しであり、倶生霊神符の守護であり、法華経の功徳力なのです。
全てのものには因果関係があり、その人力では知ることのできない因果関係を見通していただけるのが九識霊断法です。この場合、最初の事故で亡くなった不成仏霊が原因となって、次々と事故を起こしていたのでしょう。
その不成仏霊は、悪意を持って、いわゆる祟りを起こしていたのではありません。自身への供養を求めていただけなのです。霊断法によって、そうした霊がいることが判ったので、死後も苦しみ続けていた霊に向けて、法華経とお題目の供養を届かせることができました。その結果、その霊が苦しみから離れることができ、因が消えたので、事故という果を消すことができたのです。
法華経の序品に
「地獄の苦を済(すく)い、仏道に入らしむ」
という一節があります。
法華経の経力は、地獄の苦しみの中にある存在も救い、仏の道に入らしめてくださるのです。
そして、法華経、お題目のお力で、亡くなった霊を供養して、苦しみから済うことによって、生きている私たちも苦しみから済っていただけるということを忘れてはなりません。
これこそ、法華経、お題目の功徳力です。
私達の人生には様々な出来事が起こります。時には判断に困り、進むべき道が見えなくなることがあります。そんな時のために、九識霊断法があります。
霊断法によって、ものごとの三世の因果を知り、悪因を解決することによって、苦という果を楽や幸に転ずることができるのです。