令和7年の法話 今月の法話

今月の法話(令和7年7月)


かなら不実ふじつなりとも、智慧ちえはをろかなりとも、
不浄ふじょうなりとも、戒徳かいとくそなへずとも、
南無妙法蓮華経なむみょうほうれんげきょうもうさばかなら守護しゅごたまふべし。

『祈祷鈔』文永九年。聖祖五十一歳(七三一頁)

しゆ 


 日蓮大聖人の佛教は「事の一念三千」です。観念と現実が一致する、現実に成佛する教えであるということです。
 では、現実に成佛するとはどういうことでしょうか。日蓮佛教の成佛は、悟りを開いて佛になるのでも、三十二相(さんじゆうにそう)八十種好(はちじつしゆごう)を具するわけでもありません。
 御本佛、御本尊から守護を頂く、これが成佛ということです。
 大曼陀羅御本尊、寿量御本佛に守護されて、この世の様々な苦難から逃れる。それが成佛です。
 佛とは、この世の苦から解脱した存在です。したがって、苦を減らすことは佛に近づくことであり、苦から逃れることは佛としての一分を具現することなのです。
 お題目の御守護は絶対です。無条件です。「たとえ不実であったとしても、智慧はおろかであっても、不浄の身であったとしても、戒徳は備えていなくても、南無妙法蓮華経と唱えるならば、必ず守護される」のです。
 南無妙法蓮華経と唱えさえすれば必ず守護されるという、この無条件の守護こそが、寿量御本佛の大慈大悲の現れです。それが有り体の事実であり、紛う方なき現実です。
 自力を条件にして、これこれをしたから守護を得る、とか、あの修行をすれば守護される、というのではありません。
 ただお題目を唱える、というそのことだけで、守護されるという結果が顕れる。日蓮大聖人はそう仰っているのです。
 守護に自力は必要ありません。たとえ無知蒙昧の人であろうとも、神秘の守護を頂き、その不可思議によって人生の苦から解脱します。博学多聞の人が、修行をして、覚りを得るのと、同じ結果を得ることができます。これが、お題目の守護であり、日蓮佛教の真相です。
寿量御本佛に守護されている喜びをしみじみと味わいつつ、ともに南無妙法蓮華経と唱えましょう。

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