
◆どんな野末の草にも花は咲く。果報の少ない人であっても、その人なりに花咲く春は来るものである。人それぞれに違った宿命を担って生まれて来ている。他人の幸福を見て嫉妬してはならない。自分の不幸を卑下することも無益である。この世で受け取った宿命をできるだけ活かし、幸せな良き人生を歩む。大切なのはこれである。
◆創祖は、戦災に遭って無一物になり、宿命の恐ろしさを思い知ったという。一切法空の教えを心に徹することが出来たという。創祖にして、この宿命を改変することは叶わなかった。いくら執着しても、我が手を離れるものがある。先ずこの現実を悟ることが肝要である。
◆多くの人は、白昼の夢を見ながら暮らしている。その夢を奪うことは残酷であるが、夢はどこまで行っても夢なのである。いくら嬉しい夢であっても、結局のところ、その人の本当の喜びにはならない。しっかりと現実に目覚めて、真の幸福を掴まえることが大切である。信仰の道であっても、夢の信仰ではダメなのである。
◆私たちは、自分の宿命に順いながら、その中で自分の花を咲かせるように努めれば良い。無理をしない。できない空想を描かない。しかし、望みは大きく持ち、毎日の生活に満足する。他人を愛し、敬う。自分の仕事を無上のものとして精進する。これが急所である。
◆言うのは簡単であるが、こうした境地は容易には開けて来ない。分かっていても辞められず、馬鹿と知りつつ馬鹿をするのが人間というものである。故に、自分を買いかぶらず、真面目にお題目を唱え、倶生霊神の加護を祈り、法華経・大聖人の教えに理解を深めるように努めながら、一日一日の生活を楽しみつつ、幸せになるように心掛ければ、必ずや人生は素晴らしきものとなるであろう。
日蓮宗聖徒団首導 髙佐日瑞