首導月訓 令和4年の月訓

首導月訓(令和4年5月)


◆仏教における最高の悪役と言えば、「煩悩」である。私たちの心身を煩はせ、悩ませる精神作用の全てを煩悩と言う。

◆一方、仏教で理想の境地は、言うまでもなく「涅槃(ねはん)」である。覚りを得て、一切の苦や束縛から解き放たれ、完全なる安らぎを得た境地であるとされる。

◆涅槃は、原語をニルヴァーナと言い、「吹き消すこと」「吹き消された状態」を意味する。悪しき心のはたらきである煩悩を燃え盛る火に喩え、それを吹き消した、静謐(せいひつ)にして安穏なる状態を涅槃と呼ぶのである。

◆かくの如く、煩悩の所為で、修行が進まなかったり、覚りが開けなかったりして、涅槃に至れないとするのである。煩悩はまさに「邪魔」である。仏教徒が、如何にして煩悩を断ずるかに腐心したのも故なきことではない。

◆煩悩の中でも、(とん)(じん)()(まん)()(けん)の六を根本煩悩と言う。貪の中に「五欲」が含まれる。食欲、財欲、色欲(しきよく)、名誉欲、睡眠欲。仏教では、この五つを代表的な欲と見なす。

◆五欲の中身は、説明を要しないであろう。その強弱、多寡(たか)はあれ、食欲、財欲、色欲、名誉欲、睡眠欲がない人はどこにもいない。誰もが、我が身、我が心に覚えのあるのが五欲である。

◆そうして、話がここに至れば、疑問を持つ人も少なくない筈である。五欲を滅し、煩悩を断じてしまったならば、どうなるのであろう、と。そこにあるのは、私の死であり、社会の滅亡ではないのだろうか、と。

◆欲は、私たちのモチベーションの源であり、行動の原動力である。欲のない人間は、生ける屍となってしまう。要は、欲の使い方、煩悩の生かし方なのである。だからこそ大乗仏教では「煩悩即菩提」と教えるようになったのである。

「濁水(じょくすい)心無けれども月を得て自ら清めり。草木雨を得て花さく豈(あ)に覚あらんや。」(『四信五品鈔』)「煩悩即菩提」は、お題目のままに生きることによって実現するのである。

日蓮宗聖徒団首導 髙佐日瑞

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