首導月訓 令和元年の月訓

首導月訓(令和元年11月)

◆物事には原則がある。ところが、世の中の実際は、往々にして原則の通りにはならない。

◆富は幸福をもたらすのが原則である。故に大抵の人は富を求める。金銭は、物資を賄って、生活を楽にする筈だからである。しかし、実際のところ、富に恵まれていることが起因して不幸を招いている例は、枚挙に暇がない。

◆法華経を信じお題目を唱えれば、即身成仏の大果報を得て、現世は安穏に後生は善処に、万事幸福になれるのが原則である。しかし実際は、なかなかそうは行かない。同じお題目の信仰を持ちながら、家運は衰え、福の神に見放されているとしか思えない者も少なくない。これは一体どうしたわけであろうか。

◆理由は簡単明瞭である。法華経の信じ方、持ち方が間違っているからである。精神一到せずに、上の空でお題目を唱えても、神秘の加護は現れない。法華経の信仰は、「祈り」と「悟り」と「行い」とが具足して、始めて霊験奇蹟が現れるのである。如何に祈り、如何に悟り、如何に行うかを知らなければならない。

◆祈りには、二つある。一身一家の幸福を求める祈りと、国家社会の平安を念ずる祈りである。どちらもともに大切であるが、肝心なのは、先ず国家社会を祈ることである。

◆悟りとは、自分の命は、そのまま仏さまの命であると悟ることである。祈りに徹して奇蹟に触れれば、このことを自然に悟って、限りなき悦びに包まれるようになる。

◆この悟りを得れば、行いは自然に仏意に叶って来る。仏さまの大慈大悲は、そのままその人の大慈大悲となるからである。

◆これが三大秘法であり、日蓮大聖人さまの仏法、真実の南無妙法蓮華経である。これこそが、幸福への例外無き道である。

日蓮宗聖徒団首導 髙佐日瑞

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