首導月訓 平成28年の月訓

首導月訓(平成28年9月)

◆日蓮仏教は、理証・文証・現証が揃った三証具足の法門である。理証とは道理・理屈に合うこと、文証とは経典や先哲の論書などに裏付けとなる所説があること、現証とは現実の世界が教えの通りであることである。

◆「日蓮仏法をこころみるに、道理と証文とにはすぎず。又道理・証文よりも現証にはすぎず」『三三蔵祈雨事』であるから、とりわけ現証が大切である。理屈が合っていても、経典に説かれていても、それが現実と相違するのであれば、本物の宗教ではない、とする立場である。現代人にとっては当たり前のことであるが、大抵の宗教は、この姿勢を持っていない。

◆念仏を唱えると極楽往生するという。極楽往生の現証はどこにあるか。答えられる者などいるだろうか。信心の世界?信を観念遊戯の逃げ口上にしてはならない。いな、恐らくは誰も信じることなどできずにいるに相違なかろう。

◆お題目の信仰には、ご利益があり、諸天善神のご加護がある。日蓮仏教は、その三証を、きちんと提示する。では、諸天善神の加護とは、いかなる根拠により、どんな事実があるのか。

◆倶生霊神符こそ、三証が具足した寿量ご本仏のご加護である。文証があり、理証があり、そして現証がある。間違いのない救いがある。

◆倶生霊神符を着帯していれば、不慮の災難に遭わずに済む。救いというのは、本人の智慧の判断ではなしに救われ、護られるのである。お題目によってこの救いが起こる。運命の危険を避けられる。人生の救いの事実である。

◆霊断法によって運命を予知し、倶生霊神符によって危険から逃れる。ここにあるのは、道理、証文を具えた現証である。信心の固きによりて現証は確かなものとなる。ゆめゆめ疑うことなかれ。

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