令和7年の月訓 首導月訓

首導月訓(令和7年11月)

◆宗教とは祈りである。祈りとはこうありたいという願いである。こうありたいというのは欲である。だから欲を祈ることは少しも間違いではない。信心強盛にして、願いが叶えていただけた時には、信行の張り合いもあり、神佛の有り難さも感ずるものである。

◆だからと言って、無闇に祈れば良いというものではない。祈りには祈り方があり、祈り方を心得た祈りでなければ、祈りの効き目は生じて来ない。

◆第一に、自分の為すべきことを為した上で祈ることである。「人事を尽くして天命を待つ」という。自分で出来ることをないがしろにして、欲の願いばかりを祈っても、そうした祈りを叶えていただけることはない。人事を尽くした上で、人力の及ばぬことを助けて頂くのが、祈りの主旨であることを忘れてはならない。

◆第二に、祈りは具体的であるべきである。漫然と、家内安全、商売繁盛、身体健全と祈るのではなく、何々の病の平癒、何々の件の成就、と祈るのである。漫然とした祈りでは、前項の自身のなすべきこともまた曖昧になってしまう。これでは祈りは叶わない。

◆第三に、祈りは熱誠でなければならない。半信半疑な祈り、上の空の祈りでは、寿量御本佛の御本尊に感応しない。一心を通す強盛の祈りでなければならないのである。日常の礼拝、盛運祈願会への参詣は言うまでもなく、菩提寺へ日参するくらいの覚悟があるならば、無理と思える祈りも通ずることがあるであろう。

◆第四に、お礼参りを忘れないことである。苦しいときの神頼み、ノド元過ぎれば熱さを忘れるの料簡で、自分勝手で感謝のない祈りでは、心願成就はおぼつかない。熱意をもって祈り、誠意をもって感謝するのが道である。報恩感謝の行が、本当の心願成就の裏付けとなるのである。

日蓮宗聖徒団首導 髙佐日瑞

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