今月の法話 令和2年の法話

今月の法話(令和2年10月)


されば日蓮悲母(にちれんはは)をいのり(祈)て(そうらい)しかば、現身(げんしん)(やまい)をいやす(治)のみならず、四箇年(しかねん)寿命(じゅみょう)をのべたり。

 

『可延定業書』弘安2年。聖祖58歳 全:P1275 定:巻1 P861

悲母蘇生(ひぼそせい)(いの)

お題目の祈りは絶対です。それは、時として奇蹟を起こします。この聖文は、大聖人さまご自身が起こされた祈りの奇蹟のことを記したものです。

文永元年(1264)聖母妙蓮尊儀は、重篤な病に罹っておられました。

伊豆流罪の赦免を得た大聖人さまは、その年の9月頃、10年ぶりに小湊に戻られました。しかし、大聖人さまが聖母のもとを訪れられた時、聖母はまさに事切れられたところでした。大聖人さまは、護符をおしたためになり、浄水を以てお飲ませになられました。すると、聖母は生き返られ、4年間寿命を延ばせられました。

『伯耆公御房御書』には、この時のことが次のように記されています。

「此経文は二十八字、法華経の七の巻、薬王品の文にて候。然るに聖人の御乳母のひとゝせ(一年)御所労御大事にならせ給い候て、やがて死なせ給いて候し時、此の経文をあそばし候て、浄水をもつてまいらせさせ給いて候しかば、時をかへずいきかへらせ給いて候経文なり。」

『伯耆公御房御書』は、大聖人さま61歳の弘安5年(1282)2月、南条時光公(上野殿)に病気平癒の護符とともに送られたお手紙です。大聖人さまは「痩せ病」で衰弱されておられたので、日朗聖人が御代筆になりました(ここに「御乳母」とあるのは、大聖人の御種姓の謎を解く鍵の一つなのですが、そのお話は、また近々「聖徒タイムズ」にて)。

実は、聖徒団初代首導行道院日煌聖人は、スペイン風邪で命を落とし掛けられたことがおありになります。

大正7年(1918)年の9月12日、龍口法難会の際、法要を営まれたあと、法話をされていた最中に、昏倒されました。急性肺炎となって40度の発熱、幾たびか脈拍も停止してしまわれました。呼吸が15分近く止まっていたと、後日、医師に告げられたと、お書きになっておられます。

高熱に苦しんで眠れずにいた時、枕元で如来寿量品を読んで貰い、2時間ほど熟睡することが出来たのが闘病に大きな効能があった、とのことです。

法華経が「是好良薬」(「如来寿量品」)であるのは、譬え話ではないのです。

*薬王品の二十八字とは「此経則為、閻浮提人、病之良薬、若人有病、得聞是経、病即消滅、不老不死」を指します。

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