四大菩薩の此の人を守護したまはんこと、
太公、周公の成王を摂扶し、四皓が恵帝に
侍奉せしに異ならざる者なり。
『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』文永十年。聖祖五十二歳(一〇〇頁)
四大菩薩の守護

昔から釣りが好きな人のことを「太公望」と呼んだりします。
もともと「太公」とは「父・祖父」など高年男性に対する敬称でした。或る時、周(中国古代の王朝)の西伯昌(後の文王)が猟に出る前に占いをしたところ、獣ではなく人材を得るとお告げがありました。狩猟に行くと、渭水(黄河の支流の一つ)で釣りをしていた呂尚に出会い、文王は呂尚こそ「太公(文王の祖父である古公亶父〔ここうたんぽ〕)が待ち望んでいた人物だ」と喜びました。そして呂尚は文王に軍師として迎えられ、「太公望」と号するようになりました。
太公望は、文王の死後、跡を継いだ弟・武王の代、またその後を継いだ幼い成王をも扶け、中国を統一し、その後七〇〇年に亘る周王朝の礎を築きました。「周公(周公旦)」も、呂尚(太公望)と並ぶ、周建国の功臣の一人です。
また、「恵帝」は皇帝の名前です。前漢の初代皇帝・高祖劉邦の息子であり、跡を継いで前漢の第二祖となりました。その恵帝を傍で扶け支えた四人の賢人のことを「四皓」と申します。
今月のご聖文には、これら二つの故事の、成王が太公や周公に扶助され、恵帝が四皓に奉仕されたように、「此の人」が四大菩薩に守護されると説かれています。
法華経の従地涌出品第十五に、末法にこの法華経流布を託された「地涌の菩薩」が登場します。釈尊から滅後の広布を委託された地涌の菩薩のリーダー「上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩」の四菩薩が「四大菩薩」です。日蓮大聖人は、御自身が、筆頭格の上行菩薩の再誕であるとのご自覚をお持ちでした。
「一念三千を識らざる者には、佛(ほとけ)大慈悲を起して、五字の内にこの珠を裹(つつ)み、末代幼稚の頸(くび)に懸けさしめたもう。四大菩薩の此の人この人を守護したまわんこと、大公・周公の成王を摂扶し、四皓が恵帝に侍奉せしに異らざるものなり。」
右は、実は、日蓮大聖人の法開顕の書と呼ばれる『観心本尊鈔』の結びです。
「此の人」というのは、「一念三千を識らざる」「末代幼稚」のことです。「一念三千」については今は措きましょう。要は、「此の人」とは、覚りを得ることの出来ない末世の私たちのことです。
私たちは一念三千がどういうものか解らず自分で覚りを得ることは出来ませんけれども、御本佛は、妙法蓮華経の五字に一念三千という誰でも成佛が出来る宝珠を包み込み、私たちの頸に掛けてくださるので、四大菩薩が護ってくださるのです。
倶生霊神符を首に掛けるのは上に由ります。御題目を唱え、倶生霊神符を着帯すれば、私たちは、成王や恵帝となり、四大菩薩に守護され、即身成佛するのです。