令和3年の法話 今月の法話

今月の法話(令和3年2月)


うへ(飢)たる(ひと)には(ころも)をあたへたるよりも、(しょく)をあたへて(そうろう)はいますこし功徳(くどく)まさる。こごへ(凍)たる(ひと)には(しょく)をあたへて(そうろう)よりも、(ころも)(また)まさる。

 

『兵衛志殿御返事』(940頁)弘安元年11月。聖祖57歳

()えたる(ひと)には(しょく)

「兵衛志(さかん)殿」とは、池上宗長のことです。兄・宗仲とともに、篤信の檀越でありました。

 折々に大聖人さまに供養の財物をお届けになったことが伝えられていますが、この時は、厚綿の着物を供養されています。

 「今年は余国はいかんが候らむ、このはきゐ(波木井)は法にすぎてかん(寒)じ候。ふるきをきな(古老)どもにとひ候へば八十、九十、一百の者の物候は、すべていにしへこれほどさむき事候はず」

 その年の身延山は、尋常でない寒さであったようで、古老たちも、これほど寒かったことはないと言っている、と大聖人さまは綴られます。

 そうした寒い冬の、厚綿の小袖の供養に、心からの感謝をされたのです。

「銭六貫文の内一貫は次郎よりの分、白厚綿小袖一領、四季にわたりて財を三宝に供養し給ふ。いづれもいづれも功徳にならざるはなし。但し時に随ひて勝劣浅深わかれて候」

三宝への供養は、いつ如何なる時、どんな供養であっても、功徳のあるものだけれども、時を得た供養は、深く、勝る、と。

どうすると、「時に随」った供養になるのでしょうか。

 「お腹が空いている人には、衣服を施すよりも、食物を施す方が、一段と功徳がある。凍えている人には、食物を施すよりも、衣服を施す方が功徳が勝る」。

 それは、相手に思いを寄せることです。

 仏の教えは、行き着くところ、苦を除くこと、「抜苦与楽(ばっくよらく)」です。

 人の苦しみは、人それぞれです。お腹を空かせた人もあれば、寒さに凍える人もいます。病に苦しむ人もあれば、お金に困っている人もいます。

 「空腹は最良のソースである」と言います。美味しい食物を頂いて嬉しくない人はいませんが、お腹が空いた時の食物は、さほど上等なものでなくとも、有り難く思えるものです。

 「抜苦与楽」は、「慈悲」の行いのことを言います。「大慈は一切衆生の楽を与へ、大悲は一切衆生の苦を抜く」(『大智度論』)。それは、相手を思いやる、相手の立場に立つ、ということです。

 誰でもが誰でもの立場に立つことが、異体同心の総和です。

 すべては、思いやりの心から生まれます。

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