令和2年の法話 今月の法話

今月の法話(令和2年12月)


日蓮(にちれん)によりて日本国(にほんこく)有無(うむ)はあるべし。(たと)へば(いえ)(はしら)なければたもたず。(ひと)(たましい)なければ死人(しびと)なり。日蓮(にちれん)日本(にほん)(ひと)(たましい)なり。

 

『種々御振舞御書』建治2年。聖祖55歳。(789頁)

日蓮(にちれん)日本(にほん)(ひと)(たましい)なり。

『開目鈔』の三大誓願は、日蓮大聖人さまのお言葉の中でも、最も知られているものの一つでありましょう。

 「我日本の柱とならん。我日本の眼目とならん。我日本の大船とならん等と誓いし願やぶるべからず。」

この「今月の法話」でも、平成三十年九月に掲げました。

建長5年(1253)三月、立教開宗を決意され、比叡山を降りられ、伊勢の大廟を参詣された際に誓われた内容であると言われています。

「日本の柱」となることを誓い願われるとは、何と気宇壮大で大聖人さまにふさわしいお言葉か、と感じますけれども、それをも越えているかとも思われるのが標掲の聖文です。

「宅に柱なければたもたず。人に魂なくんば死人なり」。家屋が柱によって支えられているように、人を人たらしめるのは魂です。

魂とは何でしょう。いわゆる霊魂でしょうか。

それも間違いではありません。

 「日蓮といゐし者は、去年九月十二日子丑の時に頸はね(刎)られぬ。此は魂魄佐渡の國にいたりて、返年の二月雪中にしるし(書)て、有縁の弟子へをくれば、をそろしくしてをそろし(怕)からず。」(『開目鈔』)

魂とは精神です。「精神」の字をよく見てください。神と書いて「たましい」と読むのです。

「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」日本の存亡は私に掛かっている。「日蓮は日本の人の魂なり」私は日本人の精神である。

こんなことを、大聖人以外の誰かが言ったとすれば、誇大妄想か或る種の精神疾患かと疑われても仕方のない表現のようにすら思えます。

事実、大聖人の教えを曲解し、大聖人への盲信を強要する、曰く付きの新興教団では、この聖文をしばしば引用します。

しかし、大聖人は、大言壮語をされているのでもなく、ご自身への盲目的崇拝を喚起されようとしているのでもありません。大聖人と異体同心せよ、と仰っているのです。法華経の本縁国土であり、本門の戒壇建立の国たるべき日本の本質は、大聖人と私たちが異体同心することによってのみ開顕されるのである、と。

私たちが、大聖人の魂を自らの魂とすることができるか否か。大聖人は、それを問うておられるのです。

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