盂蘭盆の棚経で
大学生のころ、日蓮宗の学寮にいた私は、お盆やお彼岸の際には、棚経(お経まわり)のお手伝いをさせていただいていました。都内を中心に、千葉県や埼玉県など多くのお宅に赴き、仏壇の前でお経を唱えさせていただきました。
4年生のお盆の時だったと思います。あるご家庭の門をくぐると、「ナンミョウホーレンゲキョー、ナンミョウホーレンゲキョー」と少し甲高い声でお唱えしているのが聞こえて来ました。私が訪れる前からお題目をお唱えされているとは、ずいぶん熱心に信仰に励むご家庭なのだなと感じたことを覚えています。
チャイムを鳴らすと、中から60~70代の女性が姿を現しました。しかしお題目の声は続いておりましたので、この方がお唱えしていたのではないことが判りました。どこかたどたどしく、子どもっぽい響きを含んでいましたから、お孫さんなのかな、と思いました。
仏間に案内されましたが、仏壇の前にはどなたもおいでになりませんでした。
「せっかくですから、あちらでお題目をお唱えしている方もご一緒に拝みませんか?」とお勧めしてみました。
すると「ご迷惑になりますので」と言葉を濁し、「2人だけで拝みましょう」とのこと。
無理強いすることでもないと思い、お勤めを始めたのですけれども、私が読経している間も、別室からの声は続いていたのでした。
ご回向がすみますと、居間に案内されました。どうやらお題目はこの部屋から聞こえて来ていたようです。
中に入って驚きました。お題目をお唱えしていたのは鳥だったからです。鳥類に詳しくありませんので、分類などはよく分からないのですが、どうやらオウムの一種だったようです。小鳥という感じではなく、大きめの鳥でした。
女性は微笑みながら、「保育園に通う孫が頑張って教えるものですから、お題目を覚えたんですよ」とお話しになりました。
意味はわからなくても
お題目を覚えた鳥もすごいと思いましたが、お孫さんがお題目を教えこんだということは、きっとお婆さまと一緒に毎日仏壇で手を合わせているからなのだろうと想像しました。お孫さんに祈りの習慣をつけさせ、信仰の継承が実現しているこのご家庭は、温かく幸せであるのだろうと直感いたしました。そんなことを思っているうちに熱いものがこみ上げ、私までとても幸福な気持ちになりました。
解する心はなくともさればさせるさとりなくとも、南無妙法蓮華経と唱ふるならば悪道をまぬかるべし。
(『法華経題目鈔』)
このご遺文は、日蓮大聖人さまが45歳の時に、念仏を信仰していた女性を法華経信仰へと導こうとされて書かれたものです。
この少し前に、「近年の学者は『お題目の意味を理解せずにただ唱えるばかりでは地獄・餓鬼・畜生・修羅などの悪道に堕ちる』と言っているが、法華経の経文に照らし合わせれば彼らこそ阿鼻地獄は免れない」と記されておられます。
右に引用したごとく、「お題目を意味内容を理解していなくても、南無妙法蓮華経とお唱えするならば、地獄などの悪道に堕ちることはないのである」とお教えになっておられるのです。
薬には必ず効能書きがついており、有効成分が明記されています。しかし、どんなに医学薬学に通じて、効能書きの意味を理解することができたとしても、実際に薬を服用しなければ病気は治りません。
実は、お題目も同じです。意味内容が理解できれば、もちろん素晴らしいことですけれども、まずはお題目をお唱えすること自体が大切なのです。
このお孫さんは、ただ、お婆さまやご家族が唱えるお題目を覚えさせたいという、素直な願いを持って鳥に教えたのだと思います。その素直な願いが、言葉を持たない鳥の心にさえ響き、お題目を唱えさせるに至ったのではないでしょうか。
鳥が唱えるお題目は、法華経の深遠な教理を理解しているわけではもちろんなく、単なる音の模倣かもしれません。しかし、その音を聞いた私の心にも、お題目の功徳は確かに届いたのです。
22歳の夏のこの奇妙な出来事は、自身の信仰の在り方を見つめ直す機会となってくれたのでした。
南無妙法蓮華経