今月の法話 平成28年の法話

今月の法話(平成28年12月)

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あくいん十四じゅうしあり。いち驕慢きょうまん懈怠けたいさん計我けいが浅識せんしき著欲じゃくよくろく不解ふげしち不信ふしんはち顰蹙ひんしゅく疑惑ぎわくじゅう誹謗ひぼう十一じゅういち軽善きょうぜん十二じゅうに憎善ぞうぜん十三じゅうさん嫉善しつぜん十四じゅうし恨善こんぜんなり。十四誹謗じゅうしひぼう在家出家ざいけしゅっけわたるべし。可恐可恐おそるべしおそるべし

『松野殿御返事』
建治2年(1276) 聖祖55歳作 全:p1090 定:2巻p1265

悪の因

驕慢きょうまんとはオゴリタカブルこと、懈怠けたいとはナマケルこと、計我けいがとは自分のためにすること、浅識せんしきとはナマカジリのこと、著欲じゃくよくとは欲張りのこと、不解ふげとはワカラズヤのこと、不信とは誠意がないこと、顰蹙ひんしゅくとは毛嫌いすること、疑惑とは疑り深いこと、誹謗ひぼうとは悪口をいうこと、軽善きょうぜんとは善行を軽く見ること、憎善ぞうぜんとは他人の善行を憎むこと、嫉善しつぜんとは他人の善行にヤキモチをやくこと、恨善こんぜんとは忠言ちゅうげんに逆らうことです。いずれも人間のもつ悪徳です。

何故、人間にこうした不徳な料簡が起こるのでしょうか。それは正しい道を真面目に受け取ろうともせず、未熟な気持ちで生きようとするからです。要するに、精神が成長せず、肉体の成長とバランスが取れない状態を反省する心の素直さがないのです。

不徳な者の眼で見ると、間違ったことが正しいことのように見えます。ゴロツキや泥棒や詐欺をはたらく者は、いずれも十四の悪を身に付けてしまっている者ですが、そういう札付きでなくとも、世間で良民として通っているような人の中にも、十四の悪から離れられない人がいます。

人は醜いものと美しいものを見分ける心の働きを、生まれながらに持っているものですが、自分の眼は自分の顔を見ることができないように、自分の心や行いろ反省することが難しいのです。他人の行為に関しては検事になり、自分の行為に関しては弁護士になるのが凡人の常です。これではいつまでたっても精神は成熟しません。

自分の顔を見るには鏡を用いれば良いのです。行いの美醜を悟るのは、法華経という明鏡を用いるに限ります。日蓮大聖人さまによって咀嚼せられた法華経は、私たちを凡身のままに即身成仏させてくださるからです。

手続きは至極簡単です。南無妙法蓮華経と熱心に唱えて、現世安穏後生善処を祈るだけです。若し信に徹することができれば、必ず悟りが得られます。

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