今月の法話 令和元年の法話

今月の法話(令和元年6月)

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(あるい)(てん)(うま)れて大梵天(だいぼんてん)帝釈(たいしゃく)()(なっ)て、いみじき(こと)(おも)ひ、或時(あるとき)(ひと)(うま)れて、(もろもろ)国王(こくおう)大臣(だいじん)公卿(くぎょう)殿上人等(てんじょうびととう)()()つて、是程(これほど)(たの)しみなしと(おも)ひ、(すこ)しきを()()りぬと(おも)(よろこ)びあへり。(これ)(ほとけ)(ゆめ)(なか)(さかえ)、まぼろしの(たの)しみなり。唯法華経(ただほけきょう)(たも)(たてまつ)りて、(すみやか)(ほとけ)になるべしと()(たま)へり。

 

『主師親御書』

建長7年。聖祖34歳。全:p176 定:1巻p45

(ゆめ)(なか)(さかえ)

 総本山身延山久遠寺では新たに「共栄運動」が始まったそうです。共に栄える。何よりのことですね。では、栄えるとはいかなることなのでしょうか。

天に生まれて梵天や帝釈天となって素晴らしいことだと思ったり、人として生まれて国王や大臣や公卿や殿上人になって、これほどの楽しみはないと思っても、それは少しのことで満足して、悦んでいるに過ぎない。そんなことは夢の中の栄であって、幻の楽しみである。法華経を受持して、仏になることこそ、本当の栄であるというのがご本仏の教えである。

祖文の大意は、右の通りです。国王、大臣になることどころか、梵天・帝釈天という神さまになることすら、少しを得て足りると思う悦びに過ぎないのであり、取るに足りない、と仰っておられるのに、驚いてしまいますね。

小さなことで満足するな、本当の栄を手にせよ。問題は、南無妙法蓮華経の道を持ち、行い、護り、弘める、四誓願を生きるのかどうか。そして仏になるかどうか。それ以外のことは些事に過ぎない。そう大聖人は仰っておられるわけです。

人間は、常に、常楽我浄の四徳波羅蜜、すなわち、死なない生命、安楽な生活、自主自由、清浄で安穏な世界、を求めています。四徳波羅蜜は人生の究竟目的であり、四徳波羅蜜の成就を幸福と言う、と、これは、日頃、団長上人からお聞きになっているところでしょう。

では、四徳波羅蜜を求めることは、「夢の中の栄」にはならないのでしょうか。

ここで大切なのが、総和という聖徒団の理想です。四徳波羅蜜は、単独の個の生命で具現するものではありません。全体生命に於いて、換言すれば、異体同心することによって、初めて具現するものです。その同心とは、四誓願に他なりません。

四誓願を生きることによって四徳波羅蜜が顕現するのです。

もう一つ。四徳波羅蜜とはご本仏の徳そのものです。四徳波羅蜜を求めるとは、本仏の一分となることを願うことなのです。

もうおわかりですね。四誓願を生きて、四徳波羅蜜を成就する。異体同心して総和の大理想を具現する。それが成仏であり、本当の「栄」なのです。

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