極寒の時は厚き衣は用なり、極熱の夏はなにかせん。
『如説修行鈔』文永十年五月。聖祖五十二歳(五一三頁)
時刻相応の道
日蓮大聖人は、「時」を選ぶことの大切さを、しばしば強調されておられます。上の聖文も、その一つです。
「学者等、佛法をあらあらまなぶといへども、時刻相応の道をしらず。四節四季取取に替れり、夏は熱く冬はつめたく、春は花さき秋は菓なる。春種子を下して秋菓を取るべし。秋種子を下して春菓を取らんに豈取らるべけんや。極寒の時は厚き衣は用なり、極熱の夏はなにかせん。冷風は夏の用なり、冬はなにかせん。」
学者たちは、佛法をほぼ学んでいるようではあるけれども、時代に相応した道を知らない。例えば一年の中で四節四季はそれぞれに異なっていて、移り替わっていくものである。夏は熱く、冬はつめたく、春は花が咲き、秋は実がなるように、春には種子をまいて、秋になったら実を収穫するべきである。秋に種子をまいて春が来たら実を採取しようとしても、取ることは出来ない。極寒の冬には厚い衣が有用であるが、灼熱の夏には役に立たない。また夏には涼しい風が吹くと助かるが、冬には無用である。
大聖人が仰っておられるのは、その時代に相応した道でなければ、その時代の役に立たない、ということです。
大聖人の目に映じた時代とは、末法という時代でした。
末法とは、正法、像法を経て末法へと、世の中が徐々に悪化して行った果ての時代と考えられていますが、実はそうではありません。
文化・文明は発展し、国家・政治は民主化して人権尊重の度を高め、社会福祉は増大して来ているのが人類の歴史であり、世の中は進歩しつつあり、段々に良くなっているというのが私たちの実感ではないでしょうか(日本社会の向上は、このところ少々停滞気味であるとする評価は否定しにくいとは言え)。
末法とは、出家主義、戒律主義の佛教が廃れる時代です。教えは時代に適合したものでなければなりません。出家戒律主義の佛教は、社会や文化の進展に適応出来ず、その教化力は徐々に減退して来ました。それが正法、像法、末法の変遷です。
そこで、末法に相応しい、出家・在家を貫く大乗菩薩道の教えが要請されます。末法の時代のために説き遺された、妙法蓮華経の「是好良薬今留在此」が、日蓮大聖人の三大秘法の南無妙法蓮華経として菓になったのです。
これは、時代に阿ったのではありません。正しい教えに基づいて、その時代にふさわしい、時刻相応の正しい道が拓かれたのです。