首導月訓 令和元年の月訓

首導月訓(令和元年8月)

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◆成仏とは、人間としての真価を発揮する、ということである。従って、経済力の有無は、自ずから別問題ということになる。
◆いくら金銭を布施したとしても、そこに信心が籠もっていなければ、人間の真価を現すことはできない。お金で買えないものが、人間の至情である。至情とは、寿量ご本仏の心である。人間の中に、仏さまが潜んでいるのである。

◆信心は、祈りである。祈りによって、寿量ご本仏の目に見えない大慈大悲のご守護をいただくことができる。こうして、真の安心(あんじん)が得られるのである。祈りによってご守護をいただくことを体験すると、自分の心の中に潜んでいる仏さまが現れてくる。そうして、仏さまの大慈大悲の如く、他人を愛し、他者と和することを、この上もない楽しみとするような人格の真価が、(たく)まずしてその人に現れるようになる。これこそが、即身成仏である。

◆人は誰でも、本当はかくありたいと願っている。他人を憎むより、他人を愛したい。他者と争うより、他者と仲良くしたい。にも拘わらず、夫婦、親子、兄弟でさえ、しばしば憎み合い、争い合う。それは、愛や和よりも、我欲の方が強く盛んだからである。しかし、心を廻らして仏さまに手を合わせれば、我欲を(しず)め、我欲に(とら)われた自分を反省することができる。仏さまは、ただ与え給うだけなのである。

◆お題目を唱えてただ一心に祈ればよい。たとえ、祈る動機が欲であっても、祈る心は(まこと)である。至心からの祈りであれば、必ず感応道交の不思議が現れ、心願が成就する。そして、その悦びと満足の中から、心の中に潜んでいた仏さまが現れる。欲に囚われていた自分が、いつしか愛と和の姿に変わっていくのである。

◆人間の真価は成仏しなければ現れない。祈りの体験が根本にならなければ、本物ではない。智慧や才覚に捉われずに、一心にご本仏の大慈大悲にすがる気持ち、その純真な信仰だけが、成仏への道である。

日蓮宗聖徒団首導 髙佐日瑞

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