首導月訓 令和2年の月訓

首導月訓(令和2年2月)


◆個人格と社会人格とが合わさって、ひとりの人間となる。個人格は、本能の強い影響を受け、私情で動くものである。これを「俗」と言う。社会人格は、理性の働きを強く受け、公明正大であろうとする。これを「聖」と言う。「聖」と「俗」とを兼ね備えて破綻しないのが菩薩道である。

◆原始仏教は、「聖」のみを求めて、「俗」を捨てようとした。これが出家道である。しかし「俗」は肉体に即したものであるから、人が生きている限り、完全に捨て去ることはできない。

◆「俗」とは、いわゆる「色と欲」である。しかし「俗」を捨てるのが正しいと考えてはならない。色気も欲気もなくなったとしたら、人は干涸らびたようになってしまうであろう。

◆大乗菩薩道の目指すところは「聖」と「俗」との調和にある。法華経は、「聖」と「俗」とをコントロールする教えであり、日蓮仏教は、その実践を易行によって実現した宗教なのである。「聖」と「俗」とをコントロールするとは、「色と欲」とを、道を以て行使することである。

◆僧侶は法衣を纏う。従って出家道を歩むように見えるが、無理に「聖」のみを装わんとすることは、原始仏教に戻ることになる。日蓮大聖人さまは、出家道を歩まれたが、無戒を宣せられた。妻帯はされなかったけれども、それは当時の社会事情に応じて、弘通の為に俗情を排されたのである。大聖人さまが現代におられたならば、恐らく妻帯されるに違いない。

◆現代の仏教徒の歩むべき道は、僧侶であるとないとを問わず、菩薩道である。人間の自然な性情を殺さずに、社会共同の人格を涵養するところに、娑婆即寂光土、即身成仏があるのである。

日蓮宗聖徒団首導 髙佐日瑞

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