紙上法話

すべての命に意味がある寿量ご本仏の世界

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仏具のケンカ


 先日の夜中、お寺のご宝前でケンカがありました。誰だろうと、よくよく耳を澄まして聞いていると、どうやら人間ではないようです。なんと、ご宝前の仏具が「あーでもない、こーでもない」と争っていました。


一番最初に文句をいいだしたのは花瓶です。夜中に目を覚まし、「お腹が痛い」と腹を押さえて「私のお腹は花と草が入っていて、たっぷり水を入れられてお腹がチャプチャプだー」とグチをこぼしました。


それを聞いて花瓶に文句をいってきたのがローソク立て。「お前はそれぐらいで何をいうんだ。俺を見てみろ。頭をローソクとやらに貸して、頭が焼けるように熱い!」たしかにそうですね。溶けたロウがタラリタラリと頭に垂れてきたら、たまったものじゃありません。


その愚痴を聞いて、また文句をいってきたのが真ん中に座っていた線香立て。「お前たちは贅沢いうんじゃない。俺は自分の家を線香とやらに寝取られて、大量の煙が目に入り、目が痛くなって充血してるんだぞ」。


3人で文句をいいあっていると、さらに4人目が入ってきました。それはゴーンと鳴る金丸。「お前たちは何をいっているんだ。良いじゃないか、高いところに備えられて寒いとか、熱いとか、煙たいとか。俺を見てみろ。1回や2回ならまだ良いが、何回も叩かれると頭が痛くなってくるんだぞ。お上人さんも最初のうちは優しく叩いてくれるが、お経もこれで終わりという時間になると、思いっきりガーンと叩く。あれは相当痛いんだぞ!」


さあ、それを聞いて文句をいってきたのが木魚(木鉦)です。「1回や2回ぐらいで何をいう。俺なんか初めから最後まで、ずーっと叩かれて、音が悪いとまた強く叩かれる。こんなにたくさん叩かれる俺の身にもなってみろ!」
これもたしかにそうですね。木魚(木鉦)は初めから終わりまで叩かれて、さぞかし痛いでしょう。

 

日蓮大聖人さまのお(さと)

そうやって仏具のみんながガヤガヤと騒いでいましたら、ご宝前の真ん中に座っていらっしゃった日蓮大聖人さまが静かにこういわれました。

「お前たちは一体、何をいっているんだ。自分たちがここにきた最初の目的を忘れたのか? お前たちは法華経そしてお題目の教えを聞いて、その教えを自分のできる限り、自分のできることで仏さまにお仕えしよう。そう得心して、この仕事は自分にしかできない、これは自分がやらせていただきたいと、皆がその場所を選んで、この場所に来たんじゃないかのか? そういう最初の志を忘れたのか?」

そう日蓮大聖人さまから諭されると、花瓶も、ロウソク立ても、線香立ても、木魚も、金丸も、みんな「そうだった!俺たちには自分にしかできないやるべきことがあった。愚痴や文句をいっている場合じゃないんだ」といって、丸く収まり通常の立派なご宝前に戻ったのです。ローソク立て、線香立て、みんなが一つになって「ご宝前という、一つの仏さまのまとまった姿」を表現しているのです。

 

総和(そうわ)を目指そう

これは仏具を通じての例え話ではありますが、私たち人間にも同じことがいえます。人間だれもが、意味なく生まれてきた人など一人もいません。すべての命に意味があり、自分の仕事や日常生活の行動はすべて、世の中の誰かの役に立っているのです。

このような理想の集合体のことを「総和」といいます。そしてこの「総和」こそ「寿量ご本仏という仏さまの究極の姿」なのです。

与えられた環境の中で、自分のできることを奢ることなくやっていく。このことを大聖人さまは「御みやづかいを法華経とをぼしめせ」と述べられています。私たちがお題目の信心に励み、心を1つにして、理想の世界つまり「総和=寿量ご本仏の世界」を目指す。私たちの日常生活、仕事、すべてが法華経、仏さまに繋がるのです。

 

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