紙上法話

90歳の母親力の源はどこから?

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何気ない日常のありがたい当たり前

 誰でも子供が授かった時「五体満足で産まれてほしい」と願っております。
子供が成長するにつれて、ハイハイ(四足)、自立歩行(二足)、そして、歳をとって杖をつく(三足)ようになっていきます。


若いうちは何も不自由なくできたことが50代、60代、70代と歳を重ねるにつれてできなくなっていきます。心には若い頃の記憶があり、なぜできないと自分自身に苛立つようになります。


私自身も40代の頃、足の小指を骨折し杖を使用する生活を1ヵ月ほど経験しました。


今まで普通に歩いていたことができない。気持ちは早く前に歩もうとするのですが、身体が言うことをききません。何とももどかしく、情けない恩いでした。


また、正座ができないため本堂では椅子を用意し、雪駄が履けないため、サンダルを履き移動しておりました。


私たちが普段何気なく行っている動作、当たり前にやっていることは五体満足だからできるのです。本来これこそが仏さまのご利益なのではないでしょうか。このありがたさを知ることができるのは、身体が不自由になった時なのです。


90歳になる私の母親が、平成28年10月脳梗塞で倒れ入院、左半身麻痺となりました。
倒れた当初は、車椅子から降りるのは難しいとの話でしたが、11月から年が明けて4月まで半年間のリハビリで、以前のような生活には戻れませんが、今では杖をついて家の中を歩けるまでに快復しました。


この母親の力の源は何なのだろうと、リハビリの先生に伺うと、「ご宝前の給仕をしなければならない」と母が言っていたそうです。


私の実家は日蓮宗の結社であり、母親が朝、夕勤や茶燈香の給仕をしておりました。
また、母親は片時も倶生霊神符を離すことなく身に着けております。この母親の気力と倶生霊神さまの加護、ご利益があっての奇跡なのだと実感しました。

 

手のひらから感じる先祖と両親の愛情

 母親は自宅に戻り一人で生活をしておりますが、早く以前のようにご宝前の給仕ができるようにと頑張っております。

 この90歳になる母親を見ておりますと、自分はまだまだ精進が足りない小さな存在に思えてしまいます。

 今回、母親が倒れてからは、大学病院、リハビリ病院、福祉関係、訪問医、地域の方々の力をお借りして生活をしています。

 私も2、3日おきに母親のもとに行っておりますが、この多くの方々の助けがあってこそ母親は生きていけるのだと感謝をしております。

 母親が倒れてリハビリをしている時、子供の時以来何十年ぶりに手を握りました。この時、何とも言えない暖かさを感じました。

 親の手を握ることは子供の時しかないと思いますが、皆さんもご両親の手を握ってみてください。親に大切にされてきた実感が得られると思います。

 親があってこそ私が存在し、ご先祖さまがあってこそ私が存在する。誰の力も借りずに一人で生きているわけではないのです。テレビ新聞等で、あまりに人間関係の不和が報じられております。

 私たちは、本来備わっている力は当たり前のものではなく、仏さまに与えられた力ですから、その力を尽くして家族、地域社会の人々と共生し、お題目による仏国土を築く意識行動を改めて持ちたいものです。

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