紙上法話

安心して迎える 「終活」を

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ご命日法要で自分の供養を考える


 聖徒の皆さま、お彼岸法要にはお参りされる予定ですか?

 お彼岸とは、春と秋のお中日にご先祖さまへ感謝のご供養をする法要のことで、日本全国宗派を問わず各地の寺院にて厳修されています。

 3月のお彼岸では牡丹(ぼた)餅を、9月のお彼岸ではお(はぎ)をお供えします。

 どちらも同じあんころ餅ですが、3月は牡丹が咲く季節、9月は萩の花が咲く季節であり、その季節にちなんで使い分けており、お亡くなりになった大切なご先祖さまへお供えする習わしとなっております。

 さて、この「彼岸会」はご先祖さまへの報恩をあらわす法要でありますので、数年前からお参りになる皆さまに「終活」について考えていただこうと取り組んでおります。

 子や孫に死後の迷惑をかけたくない、自分たちで整理しよう、自分の葬儀や埋葬供養についての希望などを相談することで自分らしい臨終の迎え方を、納得して決めることを「終活」といいます。聖徒のみなさんは取り組んでますでしょうか?

 当山で取り組みを始めてから「葬儀」「法事」「永代供養」などの「終活」のご相談をお受けすることが多くなりました。

 平成21年に週刊朝日が「終活」という言葉を使って特集したことがきっかけとなり世間に広まりました。辞書をひいてみますと「人生のおわりのための活動」とあり、人間が自らの死を意識して、人生の最期を迎えるにあたって執る様々な準備や、そこに向けた人生の総括を意味しております。

 

倶生霊神符は心の「つえ・はしら」

本屋では、エンディングに関するノートが販売され、各地でエンディングをテーマにした講演会やセミナーが開かれるようにもなりました。

日蓮大聖人さまは「妙法尼御前御返事」に「人の寿命は無常なり。出る気は入る気を待つことなし風の前の露、なお喩にあらず。かしこきも、はかなきも、老いたるも、若きも定めなき習いなり。されば先ず臨終のことを習うて後に他事を習うべし」と述べられ、人の寿命の無常は、いつなんどき襲い来るか、老若男女、賢愚、貧富、貴賤、美醜の区別はないと教えられています。

この世に生まれたからにはいつかは死ななければなりません。しかしそのことを忘れ、よほどの大病をしない限り自分には縁のないものと、誰でも思い込んでおります。

私たちは、日蓮大聖人さまの「されば先ず臨終のことを習うて後に他事を習うべし」の教え通り、臨終の在り方や死にざまはいかにあるべきかを考え、人生に悔いを残してはならないのです。

「南無妙法蓮華経は死出の山にてはつえはしらとなり給へ。釈迦仏、多宝仏、上行等の四菩薩は手を取り給べし。(略)只一心に信心おはして霊山を期し給へ」
『弥源太殿御返事』

「お題目は冥土の険しい山でも頼りになる杖や柱となり、お釈迦さま、多宝さま、四菩薩さまは私たちの手を取ってくださいます。ただ一心にお題目を信じて霊山浄土を目指しなさい」。

もしものことがあったとしても、お題目を頼りにして一生懸命お祈りをして生活をしていれば、安心を得られることを、日蓮大聖人さまは私たちにお言葉を残してくださっております。

自分がどんな亡くなり方をするか、考えれば誰もが不安になりますが、日々の生活が安穏であるよう倶生霊神符を着帯し、信仰を深くしてお題目唱題によって安心して過ごすことが何より大切です。

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