紙上法話

祈りの力

コロナウイルスの恐怖 経済と産業の停滞


時に人は「祈ることしかできない」と、諦めの気持ちで呟きます。明日は誰にも分らないから、おそらく起こるであろう暗い未来を思い描き、恐ろしくて臆することは、誰もが大なり小なり経験したことでしょう。

世界は今、新型コロナウイルスに恐怖しています。未知のウイルスを研究して解明され、治療薬ができた時に終息へと向かうのでしょうが、経済と産業の停滞は日々深刻さを増しています。

今まさに、医療現場という最前線で必死に仕事をされておられる方、目には映らなくても終息にむけて尽力されておられる方には、只々頭が下がるばかりで、私にできることは、皆さんが無事であるように、罹患された方の早期回復を、そして一刻も早く終息するように祈るだけであります。

しかし、この祈りは冒頭で述べた、諦めの気持ちの「祈ることしかできない」ではありません。なぜなら、私たち霊断師、聖徒は祈りの力を知っているからです。もちろん一から十まで祈りで解決するわけはありませんが、祈りの力、特にお題目の祈りは不可思議な霊験奇跡があることを、私たちはすでに体験しています。論より証拠、そのことが何よりの証明です。

日蓮大聖人さまは『開目鈔』に「我が弟子、諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑わざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ」とご教示されておられます。この書は、大聖人さまが佐渡に配流された直後に認められました。

大聖人さまは様々な法難が降りかかり、命からがら困難を乗り越える中で、自問自答されました。「私は法華経の行者ではないのだろうか?天は私を守護しないのであろうか?」と。お題目を唱え弘められた大聖人さまといえども、順風満帆で苦しみのない人生を歩まれたわけではありません。

 

ピンチの時の霊験奇跡 必ずご加護が

 では、大聖人さまは「天の加護」がなかったのでしょうか。もちろんそのようなことはありません。たしかに大聖人さまの歩まれた道は、苦難に満ちた迫害の歴史と言っても過言ではありません。しかし、ピンチのたびに霊験奇跡が起こったのはご存じの通りです。

私たちは往々にして一つの事柄を切り取って良いことだとか悪いことだと一喜一憂するものです。長い時間で見た時、過去に経験した悪いことは本当に悪い事といえるのでしょうか。悪い結果も良い報いへと変えていく力、それが法華経お題目の祈りです。

一時的に悪くても、未来まで悪いとは限りません。信じることを恐れずに、寿量ご本仏さまや倶生霊神さまの加護がないと嘆いてはいけません。窮地に立たされた時こそ、人の本性が現れ、信心が試される時となるでしょう。

今、私たちの身の上に起きている新型コロナウイルス感染症という大難。天気で言えば大雨、季節で言えば冬。大変辛く、苦しい時です。そんな時こそ、自分のことばかり考えるのではなく、他のためにできることをするのが菩薩行であり聖徒の本分です。今回ばかりは何をするではなく、何もしないことが他のためになります。余裕がある人は他を助け、余裕がない人は遠慮なく助けを求めましょう。

悠々自適、面白おかしく生きることだけが人生の喜びではありません。聖徒の皆さん、今こそ異体同心の総和の祈りが必要な時です。決して未来を悲観することなく辛抱強く生きましょう。その中に喜びがあるはずです。それぞれ違う地で頑張ってこの苦難を乗り越えていき、また身延山にて笑顔でお会いできる日を楽しみにしております。

-紙上法話

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