紙上法話

「気づき」のある生活

気づきと覚り


 私たちは、日々の生活の中でいろいろなことに気づきます。

 日が長くなって来たな、風が強く吹いているぞ、あのお店のパンは美味しいな、今日は何だか熱っぽいぞ……。

 一つ一つは小さなことかもしれません。しかし、私たちは、小さな気づきを繰り返して行くことによって、物事を理解し、次に活かして行くことが出来るのです。

 お釈迦さまは、物事の成り立ちに「縁起」という法則があることに気づかれました。そのことを私たち仏教徒は「覚り」と呼んでいます。

常不軽菩薩と気づき


かつて常不軽と名づけられた一人の修行僧がおりました。

 常不軽は、行き交う人びとと出会うたびに合掌礼拝して「私はあなたを敬います」と言いました。

 我れ深く汝等を敬う、敢て軽慢せず、所以は何ん、汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし(我深敬汝等。不敢軽慢。所以者何。汝等皆行菩薩道。当得作仏)。

 常不軽は、この二十四字を唱え、ひたすら礼拝し続けたのです(但行礼拝)。

 しかし、常不軽に礼拝された人びとは、自分のことをバカにされたと思い、怒り、杖や枝、瓦石をもって常不軽を迫害しました。

 それでも二十四字を唱え続けたことから、「常不軽」(常に相手を軽んじない)という名がついたのです。

 常不軽の礼拝行とは、つまり「慈悲・敬い・感謝」の実践です。

 世の中には、他者に優しくない人、他人を認められない人、ありがとうと言わない人がたくさんいます。

 しかし、そんな人達にも、良い心がないのではなく、自身の良い心に気づいていないなのだけだとお釈迦様は仰られています。
その、誰でもの持つ良い心のことを、仏性(九識)と申します。

 「皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし」とは、誰でもに仏性があるが故に、誰もが成仏することが出来る、ということなのです。

 それに気づきを与えるのが、常不軽菩薩の但行礼拝だったのです。

仏である自分に気づく


自分に仏性があること、自身が仏であることに気づきましょう。

 そうすれば、仏の心で生きて行く気持ちが沸いてくるのではないでしょうか。

 かく言う私自身も、いつも全て正しい生き方を実践できているわけではありません。

 しかし、一人ひとりが、自分の中の優しい心、正しさを求める心への気づきを繰り返して行くことで、笑顔の絶えない幸せな世の中を作って行けるのだと信じています。

 皆さんと一緒に、気づきのある生活を送り、日々の信行に励んでいきたいと思う次第です。

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