紙上法話

一点集中のお題目信仰を

右往左往は元の木阿弥


 私は学生時代勉強する事を好みませんでした。

 と言うと、何か格好よく聞こえますが、端的に言うとただの勉強嫌いで、試験があるときには仕方なく机に向かったのでした。案の定時間だけが経過し頭の中は空っぽでした。気が分散するのでしょうね。それでも、集中した時には、短時間でも頭の中に入りました。

 そう。一点に集中した時には思わぬ効果があるものです。仕事でもそうじゃないでしょうか。無我夢中で働いたとき、あっという間に時間が経過して普段以上に成果が上がったなど、皆さん経験されていることでありましょう。

 信仰においても同じようなことが言えるのではないでしょうか。悩み事やお願い事があると、あっちの神社、こっちの寺院など、果ては怪しい信仰団体にご利益を求めて右往左往して、結局元の木阿弥。かえって苦しみが増幅した人も多いことでしょう。

 我々にはお題目の信仰がありますので、脇目も振らず一点に集中し信仰に励めば、何らかの方向を知らせていただけるはずです。

 我々と比較するのはおこがましいですが、日蓮聖人もご幼少のころ、即ち善日麿と名乗られておられたころ、色々と悩みや苦しみ、そしてそれらを含めた疑問がおありになったようです。それらを解決するために御年十二歳(天福元年1233)の時、清澄寺の道善房を師匠と仰いで薬王麿となり学問をされました。

 兄弟子の浄顕房、義浄房が直接指導をされたようですが、それらの疑問については納得のいく回答が得られなかったようです。

 その中に「不染世間法如蓮華在水」ということばがあります。「世間の法に染まざること、蓮華の水に在るが如し」と読みます。お釈迦さまが菩薩達に「蓮華のように生きなさい」と教えられた一節です。

日蓮大聖人の精神集中


そこで一大決意をされます。残されたご文章を要約しますと

 「幼少の時より勉学を心掛け、その上で清澄寺の大虚空蔵菩薩の御宝前で願を立て、日本第一の智者となし給えと、十二才の時より願ってまいりました。」
日本第一の智者とならなければ、それらの疑問を解決できないと思われ、相当な覚悟と決意で願を立てられたのでしょう。立身出世の為に功名を上げたいという思いでは無かったのです。

 清澄寺は房総における大寺院だから、相当の学者もいたでしょうし、お師匠様やそれに連なる学僧も大勢いたでしょう。日本第一の智者となし給へと毎日祈願をされ、色々な僧侶にそれらの疑問を尋ねられ、また経蔵に入り一切経を一心不乱に研究された事でしょう。

 その一点集中が一年二年と過ぎ、十六歳になられた嘉禎三年(1237)、不思議な神秘現象を体験なされました。
「幼少の時より虚空蔵菩薩に日本第一の智者となし給へと願を立てた、すると、虚空蔵菩薩が眼前に高僧の姿となって現れ、明星の如く光り輝く智慧の宝珠を授けていただいた。」

 また、違うご文章には、
「生身の虚空蔵菩薩より大智慧を頂いたことがあった。日本第一の智者となし給えと願を立て一心に祈願したところ、不憫と思われたのか、明星の如く光り輝く大宝珠をいただき、左の袖に受け取った。そのお陰で、お釈迦様が残された、どのお経が勝れ、どのお経が劣っているかをほぼ知ることが出来た。」

 誠に具体的に表現され、目を閉じればその様子が浮かんでまいります。

 我々は日蓮聖人を手本として信仰に励まなければならない訳ですが、幸いにして全国には大勢の霊断師がおり、九識霊断法を用いての信仰指導を行っております。多くの人がその苦しみから抜け出すきっかけを与えられています。

 今後も良いご縁を頂けますようにお祈りいたします。

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