今月の法話 令和元年の法話

今月の法話(令和元年5月)


(いま)末法(まっぽう)()りぬれば余経(よきょう)法華経(ほけきょう)(せん)なし、但南無妙法蓮華経(ただなむみょうほうれんげきょう)なるべし。(中略)()南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)余事(よじ)(まじ)へば由由(ゆゆ)しき僻事也(ひがごとなり)。(中略)嬰児(みどりご)(ちち)より(ほか)のものを(やしな)うべき()良薬(りょうやく)又薬(またくすり)(くわえ)ぬる(こと)なし。

 

『上野殿御返事』

弘安元年。聖祖57歳。。全:p1035 定:2巻p1492

良 薬(りょうやく)

末法とは、釈尊の滅後二千年以降の時代を指します。闘諍堅固、白法隠没といった言葉で、その時代相が予言されています。

一般には世相が悪化して正しい仏法が廃れるとされるのですが、実は、それまで正法とされていたものが教化力を失うことであって、真実の正法は、末法の時代にこそ興るのです。その真実の正法こそ、南無妙法蓮華経に他なりません。

南無妙法蓮華経を唱えることは決して難しくありません。手段方法としては実に容易ですが、その功徳(効果)は極めて甚大です。それは、恰も一粒の良薬が起死回生の効力を発揮するのに似ています。

薬が何故効くのか。その理屈が解らなくても、薬の効能に違いはありません。その理屈は、医者や学者に任せるのが普通でしょう。

僅か七字の題目を唱えるだけで人生苦が解決される、と説かれても、尤もらしい理屈を添えないと納得が行かないかもしれません。しかしお題目は理屈ではありません。如来秘密神通之力です。秘密ですから、人智を超越しているのです。

人智を超越した秘密に、無理やりに理屈を付けると、余計なものが混じり込んで来ます。南無妙法蓮華経に余事を交えば由々しき僻事、とは、その効果を減殺しないための御注意に他なりません。

神秘は、人間の知覚と判断の限界を超越したところから現れて来るのです。智慧で解るのは、その限界の内側のことに限られます。ですから、理屈では解決がつかないのです。

末法に入って廃れる正法とは人智による慧解脱の法であり、末法の時代に興起する真実の正法たる南無妙法蓮華経が齎すのは信解脱の成仏です。

成仏とは解脱であり、解脱とは人生苦の解決です。理屈は解らずとも、南無妙法蓮華経を信唱し、人生の苦難から解放されれば、安心立命のよろこびの中に住することができます。結果として、大悟徹底した人と、何の変わりもありません。

世人の苦悩を救うのには、簡にして要を得たものに限ります。日蓮仏教の偉大さは、ここにあります。

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