穢土を離れて浄土に入る事は必ず法華経の力なるべし。例せば民の女、乃至関白大臣の女に至るまで、大王の種を下せば其の産る子、王となりぬ。大王の女なれども臣下の種を懐姙せば其の子、王とならざるが如し。
『小乗大乗分別鈔』
文永10年。聖祖52歳。全:p397 定:1巻p769
大王の種
浄土に往生することが仏教の目的であるかのように勘違いされている向きがあるかもしれません。違います。仏教の目的は佛になること、成仏することです。浄土に入ることは、言わばその前段階です。
右の祖文の少し前には、次のようにあります。
「一切衆生の成仏のみならず、六道を出で十方の浄土に往生する事はかならず法華経の力なり。」
成仏はもちろん、浄土に往生することも、法華経の力なのである。
さて、問題は、「例せば」以下の部分です。
民の娘であっても、関白や大臣の娘であっても、要するにどんな女性であれ、大王と結ばれて、大王の子を産めば、その子は王となる。されど、大王の娘であっても、臣下との間の子を産めば、その子は王とはならない。
大聖人さまは一体何を仰ろうとしているのでしょうか。
大王とはご本仏です。
私たちは、どんな生まれであったとしても(民の娘の子であっても)、ご本仏さまを父とする(法華経と下種結縁する)ことによって、浄土に入り、仏と成ることができます。
ところが、高貴な生まれであったとしても(大王の娘の子であっても)、臣下でしかない法華経以外の経典の教主(阿弥陀仏や盧舎那仏)と縁を結んでしまったのでは、浄土に入ることも、成仏することも叶いません。
そもそも、法華経の寿量ご本仏さまは、全ての衆生の父です。私たちは、皆、もともと寿量ご本仏さまの子供です。
ですから、私たちは、道を間違えなければ、仏の位を相続し、浄土に入り、成仏することができます。主・師・親の三徳を具えられた寿量ご本仏さまに、従・弟・子の三道を以て遵えば、自然に、浄土に入り、成仏できるのです。しかし、主でも師でも親でもないものに遵ってしまったら…。臣下の子となった者は王位を継いで王にはなりません。
南無妙法蓮華経を唱えることは、ご本仏さまと親子の名乗りを上げ、絆を結び深めることであり、仏と成るよろこびの声を上げることなのです。