今月の法話 令和2年の法話

今月の法話(令和2年11月)


我並(われなら)びに我弟子諸難(わがでししょなん)ありとも、(うたが)(こころ)なくわ自然(じねん)佛界(ぶっかい)にいたるべし。(てん)加護(かご)なき(こと)(うたが)わざれ、現世(げんせ)安穏(あんのん)ならざる(こと)をなけ(歎)かざれ。我弟子(わがでし)朝夕教(ちょうせきおし)へしかども(うたがい)ををこして(みな)すてけん。つたなき(拙)(もの)のならひは、約束(やくそく)せし(こと)をまことの(とき)(わす)るゝなるべし。

 

『開目鈔』文永9年2月。聖祖51歳。(69頁) 定:巻1 P604

約束(やくそく)せし(こと)

「私と私の弟子たちは、たとえさまざまな難をうけることがあっても、疑いのこころさえ無ければ、おのずから成仏することができる。仏天の加護があらわれないからといって、ご加護がないのでないかなどと疑問をもってはならない。いまの人生が安穏にならないからといって嘆いてはならない。我が門下のものたちに、いつもこのことを教えてきたけれども、難にあうと、疑いのこころを起こして皆信心を捨ててしまった。愚かな者は、約束したことを本当に大切な時に忘れてしまうからダメなのだ。」

『開目鈔』は、龍口法難で、あわや斬首されそうになり、佐渡に流された翌年、日蓮大聖人さまが著された「人開顕」の書です。

我が身に良からぬことが起こると、信心深い人ほど、かえって動揺してしまうものです。こんなに信心をしているのに。だから良いことが起こり、悪いことは起こらないはずなのに。

 そして、疑いのこころが湧いて来ます。本当にこの信仰は正しいのだろうか。もしかしたら、この教えが間違っているのではないか。

その疑いの心こそ禁物です。

 総てをお題目に任せ、その信仰を貫いてこそ、安穏ならざる我が身にも必ず仏天の加護が現れ、「自然に仏界に至る」ことが叶うのに、拙き者は、つい疑念を起こして約束を破ってしまう、と大聖人さまは歎いておられるのです。

「約束せし事」とは何でしょうか。

 「一生、大聖人さまに付いて行きます」と大聖人さまに約束したのでしょうか。そういう人もいたことでしょう。しかし、それだけではありません。

 これは、ご本仏との約束です。そして、自分自身との約束です。

 南無妙法蓮華経の道を、持ち、行い、護り、弘める。その誓いこそが「約束せし事」です。団長上人にする約束ではありません。ご本仏(=妙法蓮華経)との約束です。本当の自分(=妙法蓮華経)との約束なのです。

 忘れてはなりません。

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