今月の法話 令和5年の法話

今月の法話(令和5年12月)


餅多(もちゐおお)くして(いち)えんぶだいの大地(だいち)のごとくならば、たれか(こめ)(おん)おもく()せん。

『上野殿御返事』弘安元年9月。聖祖57歳(1037頁)

(こめ)(おん)

 日本語で感謝のことばと言えば「ありがとう」ですね。
 これは、形容詞「ありがたい」の連用形「ありがたく」のウ音便です。ありがたいというのは「有り難い」であり、「有る」ことが「難しい」という意味です。そこから、滅多にない、珍しく貴重であるので感謝するという意味になり、「ありがとう」と使われるようになりました。

受け難き人身を受け、遭い難き妙法に遭うことが叶った。何とありがたいことであろうか。実に分かりやすい文脈です。

 でも、妙法が尊いのは、本当は「有り難い」から、ではありませんよね。人として生まれるのは滅多にないことなのに、人として生まれることができて感謝する。それはその通りですけれども、人として生まれることに価値があるから感謝するのです。遭うことの難しい「無上甚深微妙の法」に遭遇することができて感謝するのですけれども、それは、もともと「無上甚深微妙の法」が尊いからです。敢えて申せば、遭うことが難しいというのは、その尊さを一層のものにしている「だけ」です。

 表題は、南条時光公に宛てられた、塩を供養されたことへの礼状の一節です。

 この年は、大雨続きで大凶作の年だったようです。身延周辺では土砂崩れが多発して道路や河川を塞ぎ、商人も訪れることができず、物不足に陥っていたとのことです。五穀はもちろん、塩や味噌も不足して、とても困窮したことがこの御消息に記されています。

「餅多くして一えんぶだい(閻浮提)の大地のごとくならば、たれか米の恩をおもく(重)せん。」

餅が世界中の大地のようにたくさんあるならば、誰が米に対して恩を感じるだろうか。

 南条公が、不足している塩を供養されたことへの謝意を強めるために、右のように記されました。

 しかし、塩も米も、実は、希少だから大切なのではありません。もともと大切なのですが、有り余るほどあったならば、その大切さを見失ってしまうのが人の常である、ということを教えておいでなのが、この御遺文です。

 妙法の尊さは、希少で遭い難いものであるからではなく、私たちを佛の道に導いてくださるからです。

米の恩を履き違えてはなりません。

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