首導月訓 令和元年の月訓

首導月訓(令和元年10月)

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◆死にたい人はいない。永遠の生命を希求することは、生命の絶対的な本質である。私たちは、肉体は死滅するものと知りながら、生を求めて止まない。

◆何故、私たちは、死にたくないのであろうか。

◆それは、生命というものは、本来、永遠のものであり、全一のものであるが故、無条件に、本能的に、無限の生存を求めているからである。

◆法華経の方便品には、「諸法は本よりこのかた常に自ら寂滅(じゃくめつ)の相なり」とある。これは、すべての存在は、滅するものであることを表している。

◆しかし、一方、「是の法住は法位にして世間の相常住(じょうじゅう)なり」とも同じ方便品に説かれている。あらゆるものは、法則に従って常に補充されているのであり、「生」の観点から観ると、世間の相は常住不滅である、と教えているのである。

◆何の誰兵衛という個人としての私たちの相は、ある時に生まれ、一定の時間生存し、ある時に死を迎えるわけであるが、世の中全体の相を見れば、毎日たくさんの人が亡くなる一方、それにもまして多くの人が生まれている(日本は、平成23年以降、亡くなる人の方が増えていると見られるが、全世界を見れば、人口は増加し続けている)。つまり、個々の生命を一人ひとりに見て行けば皆滅びるのが実相であるが、社会共同体として見れば、新陳代謝が繰り返され、常住であることが真実なのである。法華経如来寿量品の久遠実成(くおんじつじょう)とは、その大なる全体生命の宗教的表現である。

◆親である生命が、子である新生命に命のバトンを渡して消えて行く行為を繰り返しながら、無限の過去から永遠の未来に向かって命は伝わる。個々の生命は大きな生命の一部であり、常に大いなる全体生命に繋がって存在している。

◆このことに気付いた時、私たちは、本当の命の尊さ、有り難さを知るのである。

日蓮宗聖徒団首導 髙佐日瑞

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