首導月訓 令和元年の月訓

首導月訓(令和元年6月)


◆聖徒の信仰生活は、寿量ご本仏の救護を仰ぐ安心立命の生活である。

◆常日頃からお題目の信心に徹して、倶生霊神符を着帯し、至心に息災招福を祈れば、宿業も能く転じて現世安穏の利生(りしょう)を授けていただけることは疑いない。

◆しかし、まだその体験をもたず、信心が固まっていないと、教えられた通りに信心したつもりでいても、災難に見舞われたり、心願も叶わなかったりして、疑いの心が起きて迷ってしまうものである。

◆お題目の功徳は広大無辺であるけれども、信心があやふやであるうちは、霊験奇蹟を動かす力は現れない。難しいのは此処(ここ)である。霊験奇蹟を体験しなければ信はなかなか固まらず、信が固まらなければ霊験奇蹟は現れにくいのである。

◆苦を避けようとすると、かえって苦の(かさ)が増して来る。日蓮門下たるもの、覚悟を定めて苦を恐れず、前向きに苦を受け取る気概を持たねばならない。

◆楽もまた同様である。強いて楽を求めようとすると、かえって幸運は逃げて行く。

◆日蓮大聖人さまは『四條金吾殿御返事』「ただ女房と酒うちのみて南無妙法蓮華経ととなへ給へ。苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき、苦楽ともに思ひ合せて、南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ。これあに自受法楽にあらずや。」と教示されておられる。

◆苦楽を超越して、敢えて避けず、強いて希わず。これは信心の功徳とは別の悟りであるが、この境地を開くことこそ肝要である。

◆大聖人さまは、大難四箇度小難数知れずのご生涯を送られたが、むしろ難に遭われることこそ、ご自身が法華経の行者であることの証左(しょうさ)であるという境地に立たれた。

◆伴侶と杯を交わし、南無妙法蓮華経と唱え、万事を倶生神のご加護に任せて、悠々と生活を楽しむ。これ以上の幸福な人生があるであろうか。

◆信心からその悟りに入るか、その悟りの内に信心を固めるか。

◆この境地をひらくことが、幸福になれるかどうかの別れ目なのである。

日蓮宗聖徒団首導 髙佐日瑞

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