首導月訓 令和3年の月訓

首導月訓(令和3年5月)

◆人生には思い掛けないことが起こる。僥倖に恵まれるのであれば良いが、災難や奇禍に遭うこともある。

◆不測の事故が起こることに対する完全な防御方法はない。テクノロジーの進歩によって、安全性は高まって行くであろう。例えば、自動運転が実用化すれば、交通事故は劇的に減少することが予想される。しかし、事故はゼロにはならない。

◆不測が小さくはなっても、無くなりはしないからである。コストと安全性をバランスさせざるを得ないからである。安全神話は神話であって、無限のテクノロジーと無限のコストの上にしか成立しない。

◆そして、これは、どこまで行っても、思議の世界の話である。不可思議の世界に立ち入ることは、字義通り、不可なのである。

◆私たちは倶生霊神に加護されている。倶生神という神さまがおられるかおられないかというようなことを詮索しても無意味である。日蓮大聖人さまの三大秘法の信仰をする者は、護られなければならない理由があり、護られる事実がある。大聖人さまの指南に順い、この事実を倶生神と名づけ、受け止めるのである。

◆これは、事実ではあるが、宗教であるから、科学で追究することは出来ない。体験で受け取る事実なのである。

◆霊断法による運命の予知、霊神符による危険から加護。論ではなく事実である。迷信ではない。理証・文証・現証の三証を具足した正信である。

◆この信仰に自ら安心立命し、そのよろこびを他者に伝える。しかして、同信同行の輪(=和)を広げる。それが祖道の根本である。

日蓮宗聖徒団首導 髙佐日瑞

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