首導月訓 令和2年の月訓

首導月訓(令和2年3月)


◆そもそも、成仏とは何であろうか。読んで字の如く、仏に成ることには違いないが、仏とは何であるのか、何故に人は仏にならなければならないのか、その意味がはっきり理解できなければ、何の興味も湧かないところであろう。

◆仏さまの活きた見本はお釈迦さまであるから、成仏というのは、要するにお釈迦さまのようになることである。しかし、仏教始まって以来、お釈迦さまの後に、仏となった人は一人も出ていない。論より証拠、このままでは、仏になれないことだけは確かということになってしまいそうである。

◆それにも拘わらず、どの宗派も口を開けば成仏を説くのは、真に奇妙な話である。

◆浄土宗系では往生成仏を説く。娑婆世界では仏に成れる見込みがないので、阿弥陀仏の浄土に往生してから成仏するとするのである。禅宗系では見性成仏を説く。人間の心が即ち仏であるので、それを自覚して成仏するとするのである。真言宗系では三密加持を説く。衆生が三密を修行することによって、仏の大慈悲に触れ、仏の三密に加護保持されて、仏の三密が体得され、即身成仏する、と言うのである。

◆では、日蓮仏教の成仏とは何であろうか。仏には、法身と報身と応身の三身がある。法身とは大自然を現し、応身とは人間生活を現し、報身とは人間生活に理想を現す。三身はご本仏の三つの面であるから、人間はもともと垂迹仏であると見るのが、日蓮仏教の成仏観である。

◆ご本仏を一つの宝玉であるとすれば、私たち一人一人はその宝玉を構成している分子のようなものである。分子は、構造は宝玉と同じであるが、集まって一つの宝玉を形づくらなければ、宝玉にはなりえない。従って、異体同心して総和すること、つまりは、一家に始まって世界全体が仲良くすることが、日蓮仏教の成仏なのである。

日蓮宗聖徒団首導 髙佐日瑞

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