紙上法話

夢にあらわれた  救いのお告げ

時を分けて深まる私の信心



日蓮大聖人さまのご聖言「病によりて道心はをこり候歟」(『妙心尼御前御返事』)の如く、私は病気が元となり僧侶としての道を歩み始めました。小学校2年の時から病気続きで、近隣の掛かり付け医はもちろん、大学病院とも縁の切れない生活を送っていたのですが、当病平癒の祈願をするうちに、信心が深まり、18歳で僧侶となりました。

 しかし、信仰よってすぐに丈夫な身体になるわけもなく、22歳の時には、腎臓病で一命を落とし掛けました。医者にも「助かる保証はない」と言われ、病室に運び込まれるストレッチャーの上で、思わず南無妙法蓮華経と唱えていました。

 病弱な身体と相談しながら、自分なりに道を求めて模索していた折、縁あって腎臓の移植手術を受けることができました。42歳の時のことです。

 これで長年の病院通いから解放されるのではないかと期待しましたが、ご本仏はそうはさせてくださいませんでした。10年前、55歳の時に移植した腎臓に黴菌(かびきん)が入ってしまい、敗血症を発症、再び生命の危機を迎えてしまいました。

 三日三晩、意識不明の状態が続き、家族は、担当医から「まずは命を助けることが最優先です。移植した腎臓の状態が悪いので、切除することになるかもしれません」と宣告を受けました。

 意識を失ってから4日目、私は救急救命室で眼を覚ましました。気が付いた時は、カテーテルに繋がれ、人工透析の最中でした。ポンプの動く音が聞こえ、ダイアライザー(人工腎臓)で濾過された血液が、私の中に送り込まれていました。

仏さまが姿を変えて救いの言葉

 容態が落ち着き始めたある日、私は夢を見ました。

 生家でした。祖母が仏壇のある一番奥の西側の部屋に寝ていて、子供の私がその部屋に入って行くと、「春彦(私の幼名)、大丈夫だからおばあちゃんのところに来て、ここに寝なさい」と真っ白い布団に私をいざないます。私が横になると、「必ず良くなるから心配しなくていいよ」と言われ、目が覚めました。

 次の日は、亡くなった母が夢枕に立ちました。「春彦、こっちに来て休みなさい。心配しなくてもお母さんが守ってあげるよ」と言われたところでまた目が覚めました。

 その次の日もまた夢を見ました。場所はやはり生家でしたが、煤け顔の女の人が箱を背負って私のそばに近づいてきて玄関から入ろうとしています。私は怖くて近寄らないでと叫びます。しかしその女の人は戸を開けずに入ってきて「あなたは必ず治ることになっているから、この薬を飲みなさい」と小さな薬の箱を置くと、すっと姿が見えなくなりました。

 目が覚めてから、今の夢の人は誰だろうと考えた時、東京大空襲で亡くなった叔母ではないかと思い至りました。気付くと、私の両眼から涙が溢れ出していました。叔母は私の生まれる前に亡くなっているのですから、もちろん実際に会ったことはありません。しかし、それは確かに叔母であると、私の心は感じ取っていました。

 夢で叔母の薬を服した次の日から体調がぐんぐん良くなりました。移植した腎臓の状態も回復し、退院の日を迎えることができました。

 先祖供養の大切さを説き、それでこそご先祖に護っていただける生活ができることを日頃から皆さんにお話ししてはいるものの、恥ずかしながら、私自身がご先祖に真に護られているのだということを心から実感できた人生で初めての体験でした。

 私たちは、目に見えるものはもちろん、目に見えないものに支えられて、まさに生かされているのだと痛切に感じました。

 信仰に励み、礼拝の生活をすると、現実的なものと神秘的なものが一体となって、有り難いご利益を与えてくださるのです。お題目を本当に自分のものとして唱えて行くことが、そのまま生かされている自分を生かして行くことになると確信します。これからも、この道を皆さんと共に歩んで行くことを念願しております。

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