紙上法話

感謝を生む行動がお題目

慌ただしい寺庭婦人と尼僧の両立


 寺庭婦人で尼僧の私は、法要を終えると法衣を着替え、台所に飛び込みお接待の準備をします。僧侶と寺庭婦人の両立は大変ですが、周囲の理解と協力によりなんとか頑張っています。

 先日ふと、寺庭婦人として過ごした18年間の自分を振り返ってました。当時の私は言われたまま動くだけで、「役に立ちたい!」と気持ちはあるけど何もできないので、自分を卑下していたのを思い出します。

 これはお寺だけの話しではなくどこのご家庭にもありうることだと思います。

 妻にとっては「ただ家族の世話をしている」だけかもしれませんが、女性らしい細やかな気遣いや優しい笑顔があって、子が健やかに育ち、夫がスムーズに仕事に専念できる環境が整っていることが、どれほどありがたく恵まれていることか。

 しかし家事や育児は気づけば気づいただけ途方もない仕事量なのに、外側からあまり見えるものではなく、評価もされにくいうえに、自己肯定感が低下する傾向があります。過去の私は正にこの状態でした。

 最近では兼業主婦をされている方も多く、家事も育児も夫婦で分担しているご家庭が普通になってきました。しかし政府の調査の結果などを見ると、現実問題、家事育児に関しては妻の負担の方がかなり多くなっているようです。社会に出ている分評価は受けやすいですが、今度は自分の時間がうまく持てないなどのストレスで悩む傾向があるようです。

 「御みやづかい(仕官)を法華経とをぼしめせ。」『檀越某御返事』

 これは四条金吾さんにお宛てになったご文章です。「おみやづかい」とは昔の言葉で官職、つまりお役人さん、今でいえば公務員として働くことを意味しています。妻として母として、社会に出た時など、その仕事を全うすることこそが、法華経でありお題目の実践だと考えなさい、とお示しになっておられます。

日常生活が仏道修行 生まれる「和」

 私が寺庭婦人から尼僧になって気が付いたことは、現実の日常生活こそが仏道修行であり、法華経とお題目を信じて仕事を全うすれば、得られる気づきによって「和」が生まれることでした。

 ずっと自分はお寺にとって必要のない存在と思っていました。その気持ちから精神的にも乱れてつらい時期もありました。しかし、他所のお寺へ僧侶として出席すると、寺庭婦人さんが温かく「お疲れ様です」と笑顔でお茶やお食事を出してくださいました。緊張と疲れが一気に吹き飛び感動するばかりです。この感謝の気持ちは決して忘れません。

 逆の立場に立ち、寺庭婦人さんがお寺にとってどれほど重要な存在か、はっきりとわかるようになりました。

 立場は違う中で仕事をして、嫌な思いをすることもあります。夫として妻として行き違うこともあると思います。お互いの立場を理解できないというより、自分の仕事を全うし、「感謝を生む行動がお題目なんだ」と仰せの通りに振る舞えば、笑顔と「和」が生まれると思えるようになりました。

 毎日の家事、育児や家族のお世話に追われている世の中の奥さま方や、会社から戻って家事をするご主人さま、いろんな家庭の形はあると思いますが、どうかお題目を唱えつつ生活してみてください。

 私たちには常に身の護りをご加護する倶生霊神さまが見守ってくださっています。きっと寿量ご本仏さまも一緒に「おみやづかい」するご夫婦の傍らに寄り添って、異体同心の「和」の姿になるようご加護くださっていることでしょう。

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