今月の法話 平成31年の法話

今月の法話(平成31年4月)


又世間(またせけん)(ひと)有様(ありさま)()るに、(くち)には信心深(しんじんぶか)(こと)()ふといへども、(まこと)(たましい)にそむる(ひと)は、千萬人(せんまんにん)一人(いちにん)もなし。

 

『身延山御書』

建治元年8月。祖寿54歳。全:p776 定:2巻p1920

(たましい)にそむる信

「悪貨は良貨を駆逐する」ということばがあります。「グレシャムの法則」と呼ばれる経済学の法則で、同じ価値を持つ貨幣の中に、実質価値の異なるもの(例えば、金の配合の割合が異なっているもの)が流通する場合、良貨(金を多く含むもの)は保蔵されて、悪貨ばかり使われるようになる、というものです。転じて、悪人(物)がのさばる社会では善人(物)が追い払われる傾向になる、という意味に用いられます。

実は、仏教史の中でも同じようなことが起こって来ました。日蓮大聖人さまの諸宗批判は、このことを糾弾されたものと言えます。

大聖人さまの矛先は、先ず念仏の教えに向けられました。念仏宗は、往生成仏を説きます。つまり、人の死後に成仏を求めるのです。念仏の教えが広まるに伴って、人が死ぬと仏に成る、という誤解が日本中に流布し、現在も続いています。

仏教は、仏に成ることを第一の目的とします。人が死ねば仏に成るのでしたら、仏教は必要ありません。死なない人はいないのですから。

成仏は、本来、人間苦から解脱することです。苦の原因は、生きている人間が、間違った欲望を持ち、その誤りを追い求めてしまうところに生じます。その誤りを悟り、如法に(正しい教えに順って、その教えの通りに)生活するようになれば、苦を免れ、安楽を得ます。これが成佛です。つまり、成仏は、本来、生きている人間にこそ必要なのです。

成仏には、二つの道があります。慧解脱と信解脱です。慧解脱は、智慧の力によって苦を免れる方法、信解脱は、信仰の力によって安楽を得る方法です。

慧解脱は、事実上、機根(教えに対する能力)の高い者のみが救済される教えであり、真の大乗仏教たり得ません。禅宗の流儀はこれです。念仏宗の流儀は信解脱ではありますけれども、念仏三昧は一生引き出すことの出来ない積立貯金のようなもので、目的と手段が矛盾しています。現代日本の伝統仏教界の四大宗派が、禅と念仏とで占められ、日蓮宗が第五の宗派に甘んじていることは、歴史的な経緯はあるにもせよ、まさに悪貨が良貨を駆逐してゐる状況と言えます。

日蓮仏教は、以信代慧、信解脱の道です。(いわし)の頭も信心からの信では「神にそむる」信たり得ませんけれども、日蓮仏教の信は、智慧の極致によって捉えられた信であり、その信解脱は慧解脱とクロスした真の信解脱なのです。

『身延山御書』の大聖人さまのお嘆きは、聖徒団信仰の興隆によって、解消させねばなりません。良貨で悪貨を駆逐するのです。

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