今月の法話 令和6年の法話

今月の法話(令和6年4月)


我弟子等(わがでしら)大願(たいがん)()こせ。

『上野殿御返事』弘安2年11月。聖祖58歳。(1046貢)

大願(たいがん)()こせ


「唐土に龍門と申す滝あり。高き事十丈、水の下こと強兵が箭を射落とすよりもはやし。この滝に多くの鮒あつまりてのぼらむと申す。鮒と申す魚ののぼりぬれば龍となり候。百に一、千に一、万に一、十年二十年に一ものぼる事なし。」

この御遺文は、上のように始まることから、『龍門御書』とも称されます。

中国の黄河中流辺りに「龍門」と呼ばれる急流の滝があります。この滝を、たくさんの鮒が登ろうとしましたが、登り切ることができるのはごくわずかです。登り切った鮒は龍に成ることができた、というのです(一般には、鮒ではなく鯉とされており、「鯉の滝登り」のことばもこの伝説から生まれました。鮒と鯉とは、同じコイ目コイ科に分類される淡水魚です)。

この龍門を登ることが難しいことから、転じて、私たち人間が乗り越えるべき難関のことを「登龍門」と呼ぶようになりました。

日蓮大聖人さまは、法華経の信心を貫くことの難しさを、この龍門の滝を登る困難に例えられています。鮒が私たちのことを、龍に成ることが私たちの成佛を示していることは言うまでもありません。

このお手紙は、現在の静岡県富士一帯で指導的な役割を果たしていた南条時光公に宛てられたものです。六老僧の日興聖人を中心する日蓮門下が、他宗の人びとを次々と法華信者に改宗させていったのですが、それを良しとしない他教団の人びとと対立し、抗争に発展しました。そしてついに政治権力が介入する事態にまでいたり、日蓮宗側が理不尽な迫害を加えられ、殉教者まで出てしまったのです。これを「熱原法難」と申します。この時、大聖人さまは身延山におられたのですが、一連の知らせをお聞きになり、当事者である南条氏やその他のご信者たちにお手紙を宛てて、「我が弟子等、大願を起こせ」と激励されたのでした。

「大願」とは大いなる誓願、つまり、お題目への信仰を貫くことです。「法華経のゆへに命をすてよ。つゆ(露)を大海にあつらへ(預)、ちり(塵)を大地にうづむとをもへ」とまで仰せになっています。

「法華経のために命を捨てよ」とは、いのちを粗末にせよ、と仰っているのではありません。一滴のつゆ(個)が大海(全体)の中に入れば一体となるように、自分が法華経信仰の浄土という大海に入り、大曼荼羅界の一員となって、自分一人のみならず、人類全体の成佛を目指せ、とのご指南なのです。これが「総和の人格」です。

私たちは、日々一生懸命にお題目の信仰に励んで祈りを捧げていても、現実の生活において、病気や仕事のこと、人間関係、家族のことなど、さまざまな困難に遭遇してしまいます。しかし、どんな苦境に立たされようとも、必ず、寿量本佛から神秘の御守護を頂戴できます。大願を起こし堅固な信心を貫いて、一心にお題目をお唱えしましょう。

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