今月の法話 令和4年の法話

今月の法話(令和4年9月)

 

一日(いちにち)もいきてをはせば功徳(くどく)つもるべし。あら、をし(惜)の(いのち)や、をしの(いのち)や。

 

『可延定業書』文永十二年。聖祖五十八歳。(一二七六頁)

あら、をし(惜)の(いのち)


法華経に「不惜身命(ふしゃくしんみょう)」という教えがあります。佛道のためには身命を惜しまぬこと。死をも厭わぬ覚悟を持って法華経を弘通すること。譬喩品や勧持品のことばです。如来寿量品にも「不自惜身命」とあります。

 大相撲の平成の大横綱貴乃花が、平成六年十一月に行われた横綱昇進伝達式での口上で「力士として相撲道に『不惜身命』を貫く所存でございます」と使者に答えたことを、覚えておいでの方もいらっしゃることでしょう。

 では、法華経は命を粗末にせよと教えているのかと言えば、もちろんそうではありません。命が何よりも大切であるからこそ、その命を賭けて信仰することを教えるのです。身心を鍛えてこそ、相撲道への精進も出来るわけです。

ですから、上の祖文も法華経の教えと齟齬したりはしていません。「此法華経には我等が身をば法身如来、我等が心をば報身如来、我等がふるまひ(振舞)をば応身如来と説かれて候」(『妙法尼御前御返事』)。私たちの命は佛のいのちの表れなのです。どんな人であれ、どんな命であれ、尊いのです。

 世の中にはいろいろな人がいます。病気になったり、老いて動けなくなったりして、他者の「役」に立っていないように見える人がいるかもしれません。障碍があったりして、仕事も出来ず、人の世話にだけなっているように思われる人もいることでしょう。しかし、そうではありません。どのような命であれ、生きてあること自体が、佛の命の表現であり、尊いのです。

 文明、特に医学の発展は、それまでは生き残れなかった命を伸ばし、社会福祉の発達は、それまでは助けられなかった命を延ばして来ました。人類社会の進歩向上とは、弱い命を生きられるようにすることに盡きるとも言えます。

 弱い命を切り捨てなければ全体が生き残れなかった時代が、かつてありました。否、今もなお、世界の多くの国々にとっては、それが現実です。飢餓、貧困、劣悪な衛生環境、そして紛争などによって、毎日、失われなくてよい命が失われています。

 あら、をし(惜)の命や。

 全ての命が、その寿命を全う出来る世の中を建設して行くこと。そのために、日蓮門下は「不惜身命」するのです。

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