◆94年前の大正13年11月、東京・浅草の三友館等において、王必烈監督・脚本(脚本のみとの説もある)「海の秘曲」が日活の配給により上映された。朝鮮半島で製作された映画の最初の内地(その頃朝鮮は日本統治下にあった)での公であった。
◆王必烈は、聖徒団初代首導九識霊断法創祖髙佐貫長(日煌)聖人の別名である。大正10年、京都本山妙覚寺釜山別院の法嗣として朝鮮半島に渡られた創祖は、大正13年、半島での最初の映画会社である朝鮮キネマを設立、当時最先端の媒体であった映画を用いて、布教伝道のみならず、文化興隆、そして現地事情を本土に伝えることによる内鮮融和を図られた。
◆同社は大正15年には朝鮮映画史上の傑作とされる「アリラン」を製作、その主題歌は朝鮮半島を代表る民謡として広まった。「アリラン」の監督・主演であった羅雲奎は天才と呼ばれ、その名を冠した映画祭が開催され続けているほど今尚敬慕されているが、彼の経歴のスタートは朝鮮キネマ研究生としてであった。
◆『妙法尼御前御返事』に「此法華経には我等が身をば法身如来、我等が心をば報身如来、我等がふるまひをば応身如来と説れて候」とある。人類の営みは全て三身即一の寿量ご本仏の徳である常楽我浄(=究竟目的)の地上世界での顕現を目指すものであり、その為の道義を護持するのが信仰である。日蓮仏教は昿大なのである。
◆朝鮮キネマ株式会社は、3年余で倒産した。釜山妙覚寺も、現在は跡形もない。韓国映画関係者でも、創祖の名を知る者は多くはないであろう。しかし、釜山は、現今、韓国一の映画都市に発展し、東京、上海とともにアジア三大国際映画祭の開催地となっている。霊断師大会が初の海外大会として仏国山寶土寺で開催されたのは、本紙本号の報の通りである。
◆創祖の蒔かれた種は、時を経て花開き実を結んでいる。創祖の魂魄は「未来までもながるべし」(『報恩鈔』)。 日蓮宗聖徒団首導 髙佐日瑞