首導月訓 令和4年の月訓

首導月訓(令和4年6月)


◆仏教に五濁(ごじょく)悪世という思想がある。悪世に於ける五種類の濁乱・厄災である。五濁とは、劫濁(こうじょく)、見濁、煩惱濁、衆生濁、寿命濁を言う。

◆劫濁とは、時代の濁りであり、見濁以下の四濁の起こる時代であることを意味する。戦争、疫病、飢饉などが日常化する、時代的・社会的な乱れである。見濁とは、思想の乱れ。誤った思想・見解が蔓延し、邪な考え方が横行すること。煩悩濁とは、(とん)(じん)()(まん)()の煩悩が盛んになること。衆生濁とは衆生の果報が衰弱し、身体は弱まり、心は鈍くなり、苦しみが多くなること。人間の資質が低下すること。寿命濁とは、人の寿命が次第に短くなること。

◆「諸仏は五濁の悪世に出でたまふ。所謂(いわゆる)劫濁・煩悩濁・衆生濁・見濁・命濁なり」と方便品にある。悪世というと、末法を連想するかもしれないが、五濁悪世と末法は似て非なるものであり、末法であるから悪世なのではない。「諸仏は五濁悪世に出でたまふ」のであるから、正法の時代、釋尊の在世のときですら、この世は五濁悪世であったのである。

◆世の中がだんだんに悪化して行くという下降史観は、何時(いつ)の時代、何処(どこ)の地域にも見られる。しかし、人類の文化が進歩・発展して来たと見る方が、どう考えても素直であり、私たちの実感にも即するであろう。

◆実は、末法とは、仏教の教化力の衰退を言う。仏教を受容しない時代、宗教を受け付けない感性が蔓延することが末法である。科学文明の発達、経済力・生産力の増大、教育・文化程度の高揚は、言うまでもなく進歩であり、発展ではあるが、同時に人間の驕りを生み出す。つまり、人間を超えたものへの畏れを忘却せしむる。これが末法である。

◆不可思議を思議す可からざることとと認めず、非科学のレッテルを貼って得心してはならない。しかし、それは「(いわし)の頭」への信心を是とすることでもない。神秘と文明のクロスこそが、南無妙法蓮華経の信仰である。

日蓮宗聖徒団首導 髙佐日瑞

-首導月訓, 令和4年の月訓

error: Content is protected !!

Copyright© 日蓮宗霊断師会-公式サイト , 2024 All Rights Reserved.