首導月訓 令和6年の月訓

首導月訓(令和6年2月)

◆私たち日蓮仏教徒は、法華経の寿量品に説かれている、久遠の本仏を信仰する。久遠の本仏とは、歴史上の釈尊を通じて仰ぐ、宇宙の本体である大霊格者である。

◆この本仏は、仏教の仏陀観を統一すると同時に、諸宗教の互融に示唆を与えるものであって、諸教の主神が同じ大霊格者を仰いでいることを知る手懸かりとなる。

◆厳然としてまします宇宙の本体は、あらゆる宗教の信奉する超越者に通ずる。この神的存在が、一神教の説くような創造神であるのかどうかの詮索は不要である。

◆私たちは、与えられた生命の中に、精神の働き、すなわち偉大なる自由意志と、際限なく光輝く智慧と、詩を解し芸術を愛する精妙なる感情とを有している。自然を第一の創造とすれば、人類は、第二の創造とも言うべき文化の世界を作りつつある。

◆私たちは何者であるか。かくの如く存在する者である。如是人間である。私たちは、はっきり知っている。私たちが、自分の意志によって此の世に現れたのではないことを。つまり、何者かの意志によって造られたものであることを。

◆自然は一定の法則によって成り立っている。この法則は、私たちを生み出した絶対の意志の表れであって、ありとあらゆる物に働いている。

◆私たちはこれを「理」と名付け、その理に従う範囲内に於いて自由を与えられている。理に従うことは、私たちよりも高い意志に従っていることである。

◆この二つのことをクロスすることによって、私たちは、はっきりと「霊なる神」のおいでになることを知り、その神に仕える純真なる信仰によって、神の心に通ずることを悟ることができる。

◆霊なる神の心は、理と愛である。理は厳然としてこれを犯すことを許さない。神の愛は私たちに降り注がれている。理はそのまま愛である。私たちは、理に従うことによって、神の愛を受け取ることができるのである。

日蓮宗聖徒団首導 髙佐日瑞

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