仏の御歳八十おんとしはちじゅうの正月一日、法華経を説おはらせ給て御物語あり。(中略)我世に出し事は法華経を説ためなり。我既に本懐をとげ(遂)ぬ。
『法蓮鈔』建治元年。聖祖54歳。(980頁)
正月一日
新年おめでとうございます。
さて、何故、新年はおめでたいのでしょう?
日蓮大聖人さまは、『秋元殿御返事』に「正月は妙の一字のまつり」(一一一三頁)と記されています。『法華経題目鈔』には「妙とは蘇生の義なり。蘇生と申すはよみがえる義なり」(三四九頁)と明かされています。
つまり、正月とは、蘇りのお祭なのです。蘇りとは、生き返りです。いのちを取り戻すことです。
新年を迎えるということは、旧い年が終わり、新しい年が生まれるということです。新年とは、いったん終わりを迎えた年々の生命が新たに始まることであり、木に花が咲き、山に草萌える、生命の季節である春を迎えるがごときことです。一年の生命が新たに蘇るのです。この、生まれ変わりながらいのちが続いて行くことを悦び、そのことを寿ぐのが、正月です。だからこそおめでたいのです。
「お釈迦さまが八十歳を迎えられた年の正月一日に、法華経を説き畢えられ、お話になられたことがある。『私がこの世に生まれてきたのは法華経を説くためだった。法華経を説き終えた私は、私の出生の目的を果たしたのである』と。」
上聖文によれば、元日は、お釈迦さまが法華経二十八品を説き畢えられた日でした。お釈迦さまは、法華経を説くために此の世に生まれ出でられたのです。「出世の本懐」です。
法華経の教えの中核は、御本仏の寿命が永遠であるということです。常住不滅の如来です。常住不滅の如来とは、いつもそこにいる終わりのない仏ということですが、その実際は、新しい生命体を以て、新陳代謝しながら恒常存在している、人類全体の総和の人格の上に久遠の如来を仰ぐことです。
だからこそ、お釈迦さまは元日に法華経を説き畢えられたのでしょう。
お正月を迎えますと、多くのご家庭で「お屠蘇」を召し上がることと思います。お屠蘇は、旧年の邪気を払い、新年が良い年であるよう縁起を担いで飲むものとされています。「悪鬼を屠(ほふ)り、新年に魂を蘇らせる」という意味です。この習慣は平安時代に中国から日本へ伝えられたようです。
御遺文には、「屠蘇」についての記述はありませんけれども、日蓮大聖人さまも当然ご存知だったことでしょう。そして、元日にお釈迦さまが法華経を説き畢え、生命の久遠の蘇生の義を説き明かされたことに思いを馳せられながら、お屠蘇を口にされていたかもしれませんね。