聖徒団信仰Q&A

聖徒団信仰Q&A〈第28回〉「織田信長①」

質問ちゃん
問 織田信長と日蓮宗の関係について教えてください①。(愛知県 20代 女性)
お答え上人
答 恐らく、本能寺が日蓮宗系のお寺であることをご存じの上でのご質問でしょう。
 確かに「本能寺の変」で知られる本能寺は、日蓮宗系の寺院です。現在は、正確には、法華宗本門流という宗派の本山です。
 日蓮宗以外にも、法華宗○○流というような呼称で、日蓮大聖人さまを宗祖とする宗派が幾つもあります。そのどれもが法華経そして南無妙法蓮華経のお題目を信仰する教団です。
 信長の曽祖父(諸説あり)織田敏定は法華経の篤信者でした。そのため、織田家と日蓮宗(当時は法華宗)とは深い関係にありました。戦のときには軍旗にお題目を書いていたとの説もあります。
 このような関係もあってのことでしょう、織田信長は、京に上洛する時には、ほとんどの場合、法華宗寺院を宿所としていました。信長の上洛は二十回以上にのぼりますが、そのうちの18回は、妙覚寺というお寺に宿泊しています。妙覚寺は、現在、京都市上京区にある日蓮宗の本山です。
 妙覚寺の19世日饒(にちじょう)上人の父は、「美濃のマムシ」斎藤道三でした。道三の娘の濃姫は、信長に嫁いでいます。信長が妙覚寺を定宿としたのは、一向宗(浄土真宗)や比叡山(天台宗)と対立していたため、両者に対抗できる力を持つ日蓮宗寺院を選んだという側面もあったようです。
当時の有力寺院は、広大な敷地と砦のような機能を備えていたため、多くの兵士を集結させれる軍事拠点として最適だったのです。
天正10年(1582)6月2日の本能寺の変の際は、信長は妙覚寺を家督を譲った嫡男信忠に明け渡し、約2kmほど南にある本能寺におりました。信忠の元には3千の兵がいたと言われていますが、本能寺には100名ほどの手勢だったと伝えられています。(続く)

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