首導月訓 令和3年の月訓

首導月訓(令和3年4月)

◆自動車のハンドルには「遊び」と呼ばれるものがある。ハンドルを左右に回した時、操舵が変化するまでの余裕の部分のことである。

◆「遊び」がなかったとすると、ハンドルの動きの全てにクルマが反応することになる。ホンの少しハンドルを左右に回しただけで、タイヤの向きが変化するので、ふらついて真っ直ぐに走ることすら難しくなる。運転者は、常に緊張を強いられ、すぐに疲れてしまい、長時間の運転に耐えられなくなるであろう。

◆人の生き方にも同じようなことが言える。心を張り詰め続けていたのでは、精神が疲労してしまう。ひどい場合には、神経衰弱と言われるような状態に至ってしまう畏れもある。

◆日蓮大聖人さまの教えを奉じる者は、このことに特に気を付けた方が良いかもしれない。不惜身命、死身弘法、私たちの信仰を鼓舞することばには、「遊び」の要素が薄いものが多いのである。

◆無論、不惜身命の覚悟は必要である。しかし、誤解を畏れずに言えば、不惜身命を続けるためには、不惜身命を振りかざしてばかりはいないこともまた肝要なのである。

◆手を抜くのではなく、息を抜くのである。

◆佛教は中道の教えである。大聖人さまの教えも、もちろん中道なのである。否、出家道に傾いていた佛教を、本当の中道の佛教にされたのが、大聖人さまの教えなのである。

◆要諦は、お題目の信心に徹し、寿量ご本仏さまに身を任すことである。さすれば、強盛の信心に於いてこそ、ゆとりと余裕が生まれて来る。それこそが、生き甲斐を持って人生を楽しむ最良の方途である。

日蓮宗聖徒団首導 髙佐日瑞

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