首導月訓 令和4年の月訓

首導月訓(令和4年4月)


◆お題目を唱えながら、自分のことばかり考えて、碌でもないことばかりをする人がいる。かと思えば、日蓮宗のニの字も知らず、南無妙法蓮華経のナの字も唱えたことがないのに、人助けの立派な行いをする人がある。

◆日蓮大聖人の宗教は、三大秘法を以て構成されている。それは、本覚の如来の真実を長く地上に伝える精神文化の運動である。しかし、日蓮大聖人以前、釈尊以前、文化の黎明以前から、人類は存在している。そこには、仲間思いの者も我が儘者もいたであろうし、善人も悪人もいたであろう。

◆大乗仏教の菩薩の行いであればもちろん、他の宗教の名において行われていようと、或いは、宗教を離れて行われていようと、事実として利他の菩薩の行いになっているのであれば、それをなす人はみな菩薩である。日蓮仏教は、そうした広い立場に立つ教えなのである。

◆日蓮大聖人の仏教は、事の一念三千であり、事実を根本とし、実践を第一とする。形式ばかりがお題目になっていたとしても、事実が伴っていないならば、如何物であり贋物である。事実が大切であり、厳然とした事実の前にはどんな理屈も通用しないのである。

◆正しい思想信仰を長く地上に栄えしめるためには、一定の文化形態を持たねばならない。整備された教義教学と、それに伴う実践形態がなければならない。事実に基づく文化運動としての宗教を必要とする所以である。

◆真の題目信仰者は、文化を向上させ、道念を普及させ、困窮者を救済して、世の中を利益する。何も大仰なことでなくともよい。本覚の如来の分身として行動し、世道人心を少しでも明るくする働きをする。その事実がお題目の真面目となるのである。

日蓮宗聖徒団首導 髙佐日瑞

-首導月訓, 令和4年の月訓

error: Content is protected !!

Copyright© 日蓮宗霊断師会-公式サイト , 2022 All Rights Reserved.